この知恵で考えられること
ピクチャリングが必要になるのは、相手が何かを望んでいるのに、その望みがまだ十分な像になっていない時だと思う。
ピクチャリングとは、いつ、なぜ行うものなのか
ピクチャリングが必要になるのは、相手が何かを望んでいるのに、その望みがまだ十分な像になっていない時だと思う。
たとえば、
- もっと自由に働きたい
- 面白い会社にしたい
- 自律的な組織を作りたい
- この事業をちゃんと成長させたい
- もっと自分らしいことをしたい
- ユーザーに愛されるサービスにしたい
どれも意味は分かる。
ただ、それだけではまだ「何を作ろうとしているのか」はよく見えない。
「自由」
「成長」
「自律」
「自分らしさ」
「愛される」
こうした言葉は、願いそのものというより、願いについて後から貼られたラベルであることが多い。
人は、最初から自分の望みを完全な形で言葉にできるわけではない。
過去に良かった経験。
なぜか忘れられない場面。
最近感じている違和感。
やりたくないこと。
なぜか惹かれるもの。
「こういうのは違う」という反応。
まだうまく説明できない企み。
そういうものが先にあり、その一部が、
「もっと自由にしたい」
のような言葉になって出てくる。
だから、言葉をそのまま目標として扱うと、ときどきズレる。
望む成果を決める前に、何を望んでいるのかを見る
たとえば、構造力学では「望む成果」を置く。
それ自体は重要だと思う。
でも、ここでいきなり、
- 売上10億円
- 利用者100万人
- 週3勤務
- 自律的な組織
- 業界No.1
と書けばいいわけではない。
これらは成果の記述ではあっても、その人が本当に作りたいものを正確に指しているとは限らない。
9月の対話では、
ピクチャリングをせずに「アウトカム」というステッカーだけを置くと事故になる
という話をしていた。
先に言葉を決めるのではなく、
何が実現したら、この人は「これだ」と感じるのか。
そこにある像を先に掴む必要がある。
ピクチャリングは、目標設定のテクニックというより、
目標に言葉を与える前に、そもそも何を目指しているのかを見るための技法
として使える。
本人自身も、願いを全部見えているわけではない
重要なのは、相手の中に完成された答えがあり、それを質問で掘り当てればいいわけでもないことだと思う。
本人も、
「これが欲しい」
とは分かっている。
でも、まだ全部は見えていない。
だから話している途中で、
「それです」
と言った数分後に、
「でも、そこはちょっと違う」
となる。
これは矛盾ではない。
むしろ正常である。
像を外に置いたことで初めて、
自分が本当に欲しいものと、その像との差分を本人自身が見られるようになった
からである。
ピクチャリングとは、完成された願望を聞き出すことではない。
本人と一緒に、願望そのものを見える状態にしていくことでもある。
ピクチャリングとは、何を行うことなのか
バラバラな具体から、一つの像を取り出す
ピクチャリングというと、
「細かく具体的に聞くこと」
のように見えやすい。
でも、9月の対話でかなり大きかった発見は、むしろそこではなかった。
たとえば相手が、
- コミットを強制したくない
- みんな自分から動いてほしい
- 仕事だけの関係にはしたくない
- 何かを一緒に作っている感じがほしい
- 完成した後より、作っている途中の方が好き
と話しているとする。
これを一つひとつ詳しく聞くこともできる。
「コミットとは何ですか」
「自分から動くとは?」
「どんな仕事ですか」
「誰と作るんですか」
情報は増える。
でも、それだけでは像が見えないことがある。
逆に、
「文化祭前夜みたいな感じ?」
と置いてみる。
かなり雑である。
でも、複数の言葉が指していたものを、一枚の像として保持できている。
すると、
「そう、それに近い」
となる。
そして続けて、
「でも文化祭って、普段そんなに仲良くない奴とも無理やり一緒になる感じあるじゃん。それはちょっと違う」
という修正も起こる。
この時、像が初めて検査可能になる。
9月の対話ではこれを、
いっぱい漂っている中のやつを全部貫く一個の絵
と話していた。
抽象化とは、情報を減らすことではない
ここで「抽象化」という言葉が重要になる。
一般的な抽象化は、
犬、猫、馬を「動物」と呼ぶような、カテゴライズとして理解されやすい。
あるいは、
長い話を短い言葉にまとめること。
でも、ピクチャリングで必要になる抽象化は少し違う。
たとえば、
「売上を上げたいんですね」
「自律的な組織を作りたいんですね」
「自己実現したいんですね」
とまとめる。
これは抽象度は上がっている。
でも、像は薄くなっている。
情報を減らしただけである。
一方、
「その事業をやることで、過去の自分も、未来の自分も、自分と似たような奴らも全部救いたい感じ?」
という表現は、抽象度がかなり高い。
でも、指しているものには像がある。
9月の対話では、
抽象度は高い。でも像がある。
紐づいている情報群を貫いている要素をえぐり取る表現。
と話していた。
つまりここでいう抽象化とは、
具体を捨てて上位概念にまとめることではなく、複数の具体を同時に成立させている中心の像を取り出すこと
に近い。
景色を細かくすることと、像を明瞭にすることは違う
この違いはかなり重要だと思う。
「景色の解像度が高い」ことを、私たちはすぐ「具体的」と呼ぶ。
何時なのか。
誰がいるのか。
どんな服を着ているのか。
どのくらい売上があるのか。
オフィスはどこにあるのか。
もちろん必要なこともある。
でも、細部を増やすことと、願いの像が明瞭になることは同じではない。
9月の対話では、
景色の解像度が高いことをみんな具体って呼んじゃう。
それじゃなくて、願いにおける抽象像なんで。
という話になった。
この「願いにおける抽象像」という表現が、自分にはかなりしっくりくる。
願いは、細かい未来予測ではない。
でも単なる単語でもない。
複数の経験や欲望や違和感が、同時に指している何か。
ピクチャリングでは、それを探していく。
ピクチャリングが出来ている状態とは何か
「分かった」より、「あ、これか」に近い
ピクチャリングが成立した時の感覚は、
「意味が理解できました」
より、
「あ、これか」
に近い。
話していた複数のことが急につながる。
なぜこの人がそこに苛立っていたのか。
なぜこの事業には執着するのに、別の事業にはあまり興味がないのか。
なぜ「自由」と言いながら、完全に一人でやりたいわけではないのか。
それぞれを説明するのではなく、
全部が一つの像から出ているように見える。
本人が「そう、それ」と言える
一つの分かりやすい兆候は、像を返した時に、
「そう、それ」
となること。
ただし、それだけではない。
さらに重要なのは、
「でもここは違う」
が言えることだと思う。
「自由な会社ですね」
では、「そうですね」で終わりやすい。
でも、
「文化祭前夜みたいな状態がずっと続いてる感じ?」
なら、
「そう。ただ、ここは違う」
と言える。
像には輪郭があるから、差分を指摘できる。
像が固定されず、更新され続ける
ピクチャリングは、一発で正解を当てることではない。
むしろ、
仮の像を置く。
反応を見る。
新しい情報が出る。
像を直す。
また見る。
という繰り返しである。
9月の対話でも、
今ある情報から像に落として伝えるから、
「めっちゃそれ。でもちょっとここ違うかも」が起きる
という話をしていた。
この「更新できる」という性質がかなり重要だと思う。
正解の言葉を作るより、
本人と一緒に検査できる像を持つことの方が大事である。
いくつもの断片が、一つの方向を指し始める
出来ている状態では、
過去の経験。
現在の不満。
未来への願い。
好きなもの。
嫌いなもの。
仕事での判断。
人間関係で繰り返す反応。
それらが全部バラバラには見えなくなる。
たとえば、
「人に管理されたくない」
「でも一人で全部やりたいわけではない」
「誰かと一緒に何かを作っている時は楽しい」
「ただ組織になると急につまらなくなる」
という話がある。
これらから、
「自由な人なんですね」
と人格にまとめるのではない。
「組織が嫌なんですね」
と問題にまとめるのでもない。
その全部が成立する世界を探す。
この人は、どんな関係や場や創造の状態を再現したいんだろう。
そこまで見えてくると、願いの像が立ち上がり始める。
混同されやすい誤った対話や整理とは何か
要約すること
最も分かりやすい誤解はこれだと思う。
相手が長く話したあとに、
「つまり、もっと自由な働き方をしたいということですね」
と返す。
きれいである。
でも、多くの場合、情報は減っている。
複数の具体が持っていた差異を消して、一つのラベルにまとめている。
ピクチャリングは逆である。
言葉を減らすことではなく、言葉の向こう側にある像を取り出すこと。
グルーピングすること
付箋を並べて、
- 自由
- 仲間
- 創造
- 成長
と分類する。
これも整理としては意味がある。
でも、
「自由と仲間と創造を大事にしている人ですね」
と分かっても、その人の願いはまだ見えていない。
グルーピングは、
似た情報を一つの箱に入れる。
ピクチャリングでいう抽象化は、
違う情報を同時に貫いている一つの像を見つける。
この違いはかなり大きい。
具体化すればするほど良いと思うこと
未来のビジョンを描く時、
「もっと具体的に」
と言われることがある。
そこで、
年収。
住所。
勤務時間。
人数。
売上。
家の広さ。
まで埋める。
これは未来設計として意味がある場合もある。
でも、それだけでは願いの像にはならない。
極端にいえば、
年収3000万円。
週3勤務。
海の近く。
社員10人。
まで決まっていても、
何のためにその状態が欲しいのかが全然見えていない
ことはある。
ピクチャリングでは、詳細の数より、
そこに一貫した像があるか
を見る。
相手の言葉を、そのまま望む成果として扱うこと
「売上を増やしたい」
と言われたから、
望む成果:売上2倍
と置く。
「生産性を上げたい」
と言われたから、
望む成果:一人あたり売上30%向上
と置く。
これも危ない。
以前、「生産性を上げたい」という話を辿っていったら、本人が実際に嫌がっていたのは、
人が増えて相談が急増し、自分の時間と意識が細切れになっていることだった。
本当に欲しかったものは、
「高生産性な組織」
というより、
自分が重要なことに集中していても、組織が普通に動いている状態
に近かった。
最初に出てきた言葉は重要である。
でも、最終回答とは限らない。
心理を当てること
「承認欲求ですね」
「寂しいんですね」
「失敗が怖いんですね」
と、心理状態を言語化する。
当たることもある。
でも、それだけでは願いの像は見えない。
たとえば「寂しい」が正しくても、
この人は、
誰と、
何をしていて、
どんな関係で、
どんな時間を過ごしたいのか。
それはまだ分からない。
ピクチャリングは感情の名称を当てることではなく、
その感情や言葉を含めた複数の断片が指している世界を見ること
に近い。
自分の解釈を、質問の形で押しつけること
「本当はもっと認められたいんですよね?」
「自由になりたいんですよね?」
「仲間が欲しいんじゃないですか?」
質問に見える。
でも、実際にはこちらの像を相手に提出している。
相手はYesかNoしか答えられなくなる。
仮説を持つことは問題ではない。
むしろ、像を置かなければ検査できない。
ただ、
仮説を相手の現実と同一視しないこと
が重要になる。
像は、当てるためではなく、壊せるようにするために置く。
ピクチャリングは、どのように願いを見つけていくのか
過去の「良かった」も材料になる
未来の願いを知りたいからといって、未来の話だけを聞く必要はない。
むしろ、過去の経験の中に像の断片があることが多い。
「あのライブ、本当に良かった」
と言う。
そこで、
「曲のどこが良かった?」
だけを聞くと、曲の話に閉じることがある。
でも実際には、
始まった瞬間に涙が出た。
周りには同じものを好きな人がたくさんいた。
普段とは違う照明があった。
本人たちがそこまで積み上げてきた時間があった。
その全部を含めて「良かった」かもしれない。
そうすると、
本人が未来に再現したいものも、
「良い音楽」
ではなく、
ある種類の場や関係や時間
かもしれない。
過去の良かった経験は、
未来に作りたい像の材料になる。
「嫌だ」も、願いの輪郭になる
願いは、ポジティブな言葉だけから見つかるわけではない。
- こういう組織は嫌
- こういう働き方は嫌
- こういう人間関係はしんどい
- こういう成功の仕方は嫌
こういう反応にも像の境界が含まれている。
「何が欲しい?」
と聞かれても分からない人が、
「それは絶対嫌」
なら明確に言えることがある。
その否定を単なるネガティブ感情として処理せず、
その像の何が嫌なのかを見る。
すると、逆側に願いの輪郭が出てくる。
本人が無意識に何度も指している方向を見る
本人は別々の話をしているつもりでも、
聞いている側には、
「これ、また同じ像を指してないか?」
と見えることがある。
仕事の話でも。
友人関係の話でも。
昔好きだった活動の話でも。
これから作りたい会社の話でも。
何度も同じ方向が出てくる。
そこに、
本人が何度も再現しようとしている像
がある可能性がある。
ピクチャリングは、その方向を会話上使えるところまで持ってくる。
願いにおける「抽象像」とは何か
抽象度が高いのに、見える
通常、抽象度が上がるほど像はぼやけると思われがちである。
「犬」より「動物」。
「東京」より「都市」。
どんどん情報量は減る。
でも、願いのピクチャリングで扱う抽象には、別の方向がある。
たとえば、
「過去の自分も、今の自分も、自分と似た奴らも救われるようなものを作りたい」
これはかなり抽象的である。
特定の商品も、場所も、人数も決まっていない。
でも、像はある。
逆に、
「ユーザー価値を最大化したい」
は同じく抽象的なのに、ほぼ像がない。
この違いは、
複数の具体を保持しているか
にあるように思う。
良い抽象像は、具体を捨てた言葉ではない。
複数の具体をまとめて見渡せる形で保持している。
「文化祭前夜」はなぜ強いのか
「文化祭前夜」という言葉には、
かなり多くのものが入っている。
まだ完成していない。
みんな何かを作っている。
役割が多少曖昧。
明日がある。
普段とは違うテンション。
少し混乱している。
でも、前へ進んでいる。
それを全部説明しなくても、一つの像で持てる。
だから、
「文化祭前夜みたいな感じ」
と言われると、
複数の願いを一度に検査できる。
そして、
「ただ、あの無理やり仲良くなる感じはいらない」
と一部だけ外すこともできる。
このように、
像は大量の具体を保持したまま、一つの単位として扱える。
ここがピクチャリングと抽象化が接続する場所だと思う。
ピクチャリングした像は、その後どう使うのか
まず、望む成果に言葉を与える
像が十分に立ち上がったあとで、
初めて「望む成果」を言葉にする。
この順番が重要だと思う。
最初から、
「売上10億」
「週3勤務」
「100万人利用」
と書いて、そこに自分を合わせるのではない。
先に、
何を作りたいのかを見る。
その像を維持しながら、
「では、その像が成立したと分かる成果は何か」
を置く。
そうすると数字や状態記述が、
ただの目標ではなく、
像を現実と接続するための指標
になる。
緊張構造とピクチャリングは、同じ技法ではない
ここも9月の対話では重要だった。
緊張構造のフレームワークを使う力と、
ピクチャリングする力は別である。
緊張構造チャート自体は書ける。
望む成果も書ける。
現状も書ける。
でも、上に置いた「望む成果」が薄い言葉なら、
構造全体が動かない。
だから、
緊張構造には、ただの整理ではなく、ピクチャリングレベルの純度の高い抽象化が必要
という整理になった。
つまり、
ピクチャリングが構造力学そのものなのではない。
ただ、何を創造するのかが見えていない状態で構造だけ作っても、うまく働かない。
像があれば、手段を変えられる
これは実務上かなり大きい。
たとえば、
「週3勤務」
そのものを願望にしてしまうと、
週3勤務を実現することが目的になる。
でも、本当に欲しい像が、
「毎週まとまった時間を、自分で何かを作ることに使えている」
だったなら、
別に週4でもいいかもしれない。
一方で週2でも、その時間が全部会議なら意味がない。
像が上位にあると、
手段を捨てても願いを失わない。
これは創造を進めるうえでかなり重要だと思う。
ピクチャリングとは結局、何なのか
ピクチャリングとは、願いを詳細に説明することではない。
未来を細かく具体化することでもない。
上手に要約することでもない。
相手の本音を当てることでもない。
大量の情報をグルーピングすることでもない。
本人が語る、
過去の経験。現在の違和感。
好き嫌い。やりたくないこと。
なぜか惹かれるもの。
目標。成果。自己像。
創造したいもの。
それらをバラバラな情報として扱わず、全部がどこを指しているのかを見る。
そして、そこから一つの像を取り出してみる。「こういうこと?」と外に置く。
相手が見る。「そう、それ。」
あるいは、「近い。でもここが違う。」となる。
また描き直す。
そうして少しずつ、本人の中にも断片的にしか存在していなかった願いが、本人自身が見て、検査し、選べる像になっていく。
9月の対話では、ピクチャリングを日本語にしたら「抽象」なのかもしれないという話になった。
もちろん、一般に使われる「抽象」とは少し違う。
情報を減らす抽象化ではない。
散らばった具体の全部を貫いている、願いにおける抽象像を取り出す。
自分には、今のところこれが一番しっくりくる。
そしてその像が見えて初めて、望む成果を置ける。構造を考えられる。手段を選べる。現実との距離を測れる。
だからピクチャリングは、何をすればいいかを考える技術より前にある。
そもそも、自分は何をこの世界に存在させたいのかを見るための技術なのだと思う。
ログ
00:27〜18:51 ピクチャリングとは何を見ているのか
00:27 Mugino Tamaki:
そう。ロバートの「ピクチャリングではない」っていうフィードバックは、全部言語的な要約とか、言語で聞いたことを返してるだろう、っていうフィードバックが多いね。
00:44 専光建志:
コンサルタントにだよ。
00:46 Mugino Tamaki:
そうそう。
00:48 専光建志:
ね。それはめっちゃわかりますけどね。アクティブリスニング。なんか返し方で。
01:02 専光建志:
抽象化や切り口を作ったふりをした、情報欠損化をする人が多いんですよ。本当に情報減っただけの。それっぽく返してる人の大半は。
01:32 専光建志:
ああいうの見ると結構話す気なくなるんですよ。「聞けないんだな」って思っちゃうんで。
アクティブリスニング、まあ主体的に会話に参加しようとしてるだけで。言語的なレスポンス、間をつないでるやつの、それっぽい系みたいな。
02:03 専光建志:
やつを多分、悪としてるんでしょうね。
02:06 Mugino Tamaki:
そうだね。アクティブリスニングだっていう時は、クライアントとレイヤーが変わってない、を指摘していて。あ、そうそう、抽象度が高い。
02:37 専光建志:
はいはいはい。多分、[倉本さん]が言う、ロバートの言う「いい返し」は多分一致してると思うんですよ。
02:46 専光建志:
[細谷さん]が言う抽象化は、丸っとするとかグルーピングするじゃなく、[共通するもの/中核]を取り出す、であって。
03:01 専光建志:
例えば話してて、「売り上げを上げたいってことだね」とか、「こういうビジョンかな?」みたいなのは、抽象化っていえばカテゴライズとかなんですよ。
03:22 専光建志:
抽象度が上がってるけど、解像度があるっていうのは、例えば、
「その事業をやっていることで、過去の自分も未来の自分も、それと似たような奴らも全部救いたいってことか」
みたいな。
とかは、像があるじゃないですか?
03:44 Mugino Tamaki:
あるね。
03:45 専光建志:
これは抽象度は高いんですよ。けど、指してるポイントは結構、像があるんで。
03:54 専光建志:
その紐づいていた情報群を結局、貫いてる要素をえぐり取る表現なんですよ。
04:02 Mugino Tamaki:
え、すごい!それピクチャリングだ!
04:04 専光建志:
そうなんですよ。
04:06 専光建志:
で、例えばその、経営がどうだとか、売上、キャッシュフローとかって話をしてました。
04:18 専光建志:
エルジンとしては、
「やっぱ面白いやつと楽しんでるって、いい企画やってる感じが手元にないのが嫌なん?」
っていう時は、これは具体化で、これ抽象化なんですよ。
04:30 専光建志:
その、あらゆる不満や要素から願望を……
04:38 専光建志:
要素化してるんで。持っている、できれば持ってないものをちゃんと引っこ抜いた、とある現実像の。
04:46 専光建志:
人は願えないんで。それをみんなで探してるんですよ。
04:54 Mugino Tamaki:
マーケティングの話だ。
04:56 専光建志:
近い近い。その本人も多分、その像はなんか持ってるけど、
05:03 専光建志:
その会話上使える意識まで持ってこれないんですよ。
05:07 Mugino Tamaki:
いや、そういうことだよね。気づいてないよね、本人も。
05:17 専光建志:
まあ、その「文化祭前夜みたいな感じね」とか、みたいな話あるじゃないですか?
05:23 専光建志:
あれほど雑だけど、いい抽象化なんですよ。
体験を持ってて、「そう、あの時のあれなんだよね」みたいな。
05:33 専光建志:
「コミットを別に強制するわけじゃなくしたいんだよね」とかって聞いていくと、バラバラに浮かべてる、その欲しい、この場で再現したい、
05:48 専光建志:
像があって。
それはまあ抽象度が高い。抽象というのは、過不足なく十分であり、その支配的な塊のことを[抽象]と書くんですよ。
06:09 専光建志:
で、それを分解したものだったり、重なってはいるものとかが線で紐づけることは……
06:18 専光建志:
上下でイメージすると、多分カテゴライズっぽくみんなやっちゃうんで。
06:23 専光建志:
いっぱい漂ってる中のやつを、全部を貫く一個の絵なんですよ。
06:29 Mugino Tamaki:
あー!
え、[倉本さん]言ってた。「グルーピングと抽象化は違う」って。で、抽象化は……
06:43 専光建志:
言葉通りなんですよ。その像を抽出するってのが抽象なんですよ。
06:53 専光建志:
で、それを分解した時に、「具体像としてそれとも言える?」「こういうシーンとも言う?」んですよ。
07:07 専光建志:
で、その中に含まれる本当の[中核]たる像が抽象であって。
それを抽象化の本体と呼ぶんだぜって、細谷さんずっと実は言ってるんですよ。
07:23 専光建志:
細谷さん、細谷さん。
07:36 専光建志:
『具体と抽象』って本書いてますけど。
07:39 専光建志:
逆に言えば、それくらい抽象と具体を行き来するのって難しくて。
07:50 専光建志:
ふんわりと「具体的」を行き来する行為じゃなくて。
「部分、こうかな」って思うものと、「全体、すごく真ん中、これだ」っていうのを行き来する話なんですよ。
だから、その塊たるフレンドシップ・ウェディングをやってみたり、要素としての何かに触れてみたりっていう行き来が、抽象・具体の行き来であって、行動としての。
08:25 Mugino Tamaki:
え、待って待って。ピクチャリングを日本語にしたら「抽象」になる気がしてきた。
08:30 専光建志:
そう思うよ。一般論で言う、誤用される「抽象」は若干違うけど。
08:43 専光建志:
やっぱそうなんで。
その、なんか風景を描く、ビジョンとかもあるじゃないですか。
ビジョンはやっぱり「とある視界」なんで。
今はないが、昔感じたことがあるし、未来もそうであってほしいし、本当はいつも……像なんですよ、あれは。
09:08 専光建志:
で、その像を、いわゆる一枚の写真を何とでもラベリングできるじゃないですか?
「いじめられている子がいる写真」ともできるし、
09:23 専光建志:
「この世の支配関係」みたいな名前をつけるじゃないですか。
09:26 専光建志:
と同様に。
逆に像で表すと難しさはあるんですけど、やっぱりそれを、
誰の視点で、どういう感覚なり、どういう結果がどう起きてるかってのを抽出した像にするっていう話で。
ゆえに現場になるからこそ、なんか考えがもう一回変わるんですよ。
10:00 専光建志:
「文化祭みたいなあの日」って言った時に、それでめっちゃ抽象になった時に。
でも、
「あれって、そんな仲良くない奴らとも無理やり仲良くなってる感情がないですか?」
みたいな。
「あ、確かにそうだわ。それちょっと違うな」みたいな。
とかっていう、[一回それを]言った上で、もう一回、その像があるから検査ができるんですよ。
10:27 専光建志:
とか、一日でいいのかとか。なんか三日限りみたいなのでいいのか?みたいな。
10:34 Mugino Tamaki:
あ、それはマジでそう。
あのさ、ピクチャーをさ、修正することもあって、ロバート自身が。
「こういうことを描いてるけど、その情報入ってきたらピクチャー変わったわ」みたいなことある。
10:46 専光建志:
うん。
10:49 Mugino Tamaki:
更新だね。ピクチャーの。
10:51 専光建志:
そうそう。
それを多分、何だろう、今ある限りの情報からした時の像に落として伝えるからこそ、
「めっちゃそれ! あ、でもちょっとここ違うかも」
ってなるじゃないですか。
これは具体の要素のヒアリングとは、もう別次元の話になるんですよ。
舞台の要素が羅列すると、像がないから。なんか、全部森になったり。
11:28 Mugino Tamaki:
いや、マジでそう。
あのね、「その舞台、聞く必要ある」っていうフィードバックもレポートの中でよくある。
で、私とか他の人たちもみんな、その舞台を集めて、それこそ抽象化するもんだと思ってるからさ。道具集めちゃうんだよね。
でも「そんな舞台拾っても意味ないよ」っていうか。
そう、それは「ピクチャーを見てないからそうなる」っていうことだね。
12:01 専光建志:
そうそうそうそう。
で、像が共有できないから、玉木さんは僕に伝わるようにそう言ってくれてるだけなんですよ、多分ヒアリング上。
僕なり、日本人だとか、きっとこういう経験はしてるかなっていう憶測をすごい使いまくって、
「こんなことは欲しいかな?」「こんなことはこうかな?」
って言ってくれてるんですけど、それが像のはずはないんで。
で、意味が多分「言葉を無視する」なんですよ。
12:29 Mugino Tamaki:
なるほどね。
12:31 専光建志:
言葉はヒントにするが、その言葉が指してる内容を厳密に切り取る意味がないよ、みたいな話なんで。
12:41 Mugino Tamaki:
いや、しかも分かりやすいのが、例えば……
お母さんの話をしてたとして、そのクライアントが。
じゃあ、お母さんの話を深掘るんじゃなくて、
「その後ろにいるお父さんはなんと言ってるんだ?」
みたいな。
出てきてないけど、存在を感じられる人の質問をしたりするのね。
それは言葉を聞いてるだけでは拾えない場所っていうか。
13:36 専光建志:
うん、そうですね。
その、[花のライブ]めっちゃ良かったって言ってて、花と玉木だけでは整理ができない「本当の良かった」があるんですよ。
13:50 専光建志:
周りにも花を好きな人で埋め尽くされていて。
その、とある成功をしなきゃ用意されないようなライトアップをされていて。
みたいなのがあって「良かった」って言ってるじゃないですか。
に対して、
「花のどんな演奏が良かったの?」「歌良かったの?」
って聞いちゃうと、
14:12 専光建志:
花と玉木の世界に閉じるんで。
「どのタイミングで本当に、花いいなって思ったのか?」まず聞いて。
「もう始まった時だね。もう涙が止まんなかった」みたいな。
であるとしたら、もうそれが、
14:30 専光建志:
その時に、その状況に集約されてる環境があるんですよ。
そこから影響を受けた。それが「良かった」って言ってるんで。
それのどの部分を覚えてるかは、玉木さんの性質によるから。
「良かった」は多分、全体から出てるはずなんで。
14:52 専光建志:
だから、その人の言ってることを信用しない態度がいるっていう。
14:57 Mugino Tamaki:
うーん。いや、本当。
だから、その人の言ってることを信用する態度はアクティブリスニングなんだよ、一応。
15:29 専光建志:
でも傾聴もさ、レベルの概念のさ。
15:35 専光建志:
上の方は、その話している人を踏まえて、なんかもう、
15:41 専光建志:
全体を聞く、みたいな概念あるじゃん。
15:44 専光建志:
あれは多分、その言語を聞きつつ、
15:51 専光建志:
その話してる時に、その人が頭に浮かべてる情景を察するんですよ。
15:58 専光建志:
だから、あれは近いと思うんだよね。
16:03 専光建志:
これ意外と、やっぱ聞く専門業の上の方は、同じこと言ってる気がする。
16:24 専光建志:
そういう意味では、そこのコンサルタントの役割は、本人が逆に思い出すけどフォーカスしちゃってる部分を外す、ばかりじゃないですか?
という意味で言ってんならね。
「そのお父さんはどうだったの?」とか。
16:48 Mugino Tamaki:
そうね。
いやー、そうか。めっちゃ急にわかりやすいな。
グルーピングと抽象化が違うっていうことで考えると。
17:03 専光建志:
多分、マーケが意図してるあれも同じことを言っていて。
本人がフォトブースについてどうこう言ってる時には、そいつは他に何の見積もりを請求していて、行ってるのかもそうだし、みたいな話なんですよね。
17:31 専光建志:
「フォトブースが高いから買いません」っていうものでした。
安ければいい、じゃなくて。
17:38 専光建志:
五万円の似顔絵とか……
17:45 専光建志:
っていう状況が、月により五万円払ってやりたいかってイメージが湧きません、になるじゃないですか。
18:01 Mugino Tamaki:
なるほどね。顧客が見てる……そう、「顧客がいる世界」。
18:10 専光建志:
この行動力学も現実主義なんで。
現実の制約が多いというか、全部ができないから。
マーケも、その顧客の思い通りの価格と品質で作れないんで。
だからこそ、そのままが満たせないし、満たすと壊れちゃうからこそ、情景を知って、その得られるもの、実現できるものなり……
18:51 専光建志:
現実に即してるって意味だと、マーケティングとかは一番土台の根底は近い。
48:12 「言葉を外す」の実践上の話
48:12 Mugino Tamaki:
いや、だから私は、さっきの記事に「言語だけを取るな」って書いてあったし、ピクチャリングも「言語を外す」ってことなんだけど。
もう言語で受け取っちゃって、
「うわ、こいつなんか私が法人の返信してないって言ってるわ」
ってイラッとしたけど。
でも、この喧嘩してても時間的にも意味がないって、その場でも私は思ったから。
(中略)
その日は「こいつなんか思ってるけど言わない」っていう状態にモヤモヤしてた。
前日、「あ、ここにモヤモヤあったんだ。しかも出してくれてんじゃん」なんかと思ったから、それはそのこと自体は良かったって思ったんだよね。
そういう心情だった、その時点では。
後から考えたら「なんかおかしくね?」とか思ってきたけど。
1:55:16〜1:57:30 ピクチャリング能力と緊張構造は別
1:55:16 専光建志:
ピクチャリング自体は、やっぱ僕は別物に見えてますね。緊張構造とは。
1:55:26 専光建志:
進捗とフレームワークをちゃんと使う力。
1:55:30 専光建志:
ピクチャリングをする力。
1:55:34 専光建志:
結構、そんなに同じとは思えない。
で、緊張構造だけじゃなく、何かしらやっぱこう、願いや[Willの]イメージを使うというのは、どういう類の目標形成にも重要で。
緊張構造は、よりその純度が重要なので。
ただの整理じゃなく、ピクチャリングレベルで。
1:56:02 専光建志:
純度の高い抽象化。
1:56:05 専光建志:
をしないとワークしない、という構図なんですよね、多分。
1:56:11 専光建志:
あっちは切り出しで別でいい気がするんだよ。
1:56:16 Mugino Tamaki:
なんかそうね。マーケティングとも今回関係してきそうっていう。
1:56:26 専光建志:
なんか、ピクチャリング力が高かろうが低かろうが、緊張構造を題材に付き合ってくれる、元気な姉貴みたいなだけで、十分なんかサービスになるなっていうイメージあるけど。
1:57:08 専光建志:
ピクチャリングを玉木さんがロバートのようにするというか、
もう一緒にピクチャリングをしている姿勢みたいな。
「やっぱ難しいね」「またやってみよう」。
構造の方。
1:57:26 専光建志:
だと思うんで。
そういう意味では、そのピクチャリング専門性を立ち上げてる段階ってあるでしょ。修行になっちゃうけど。
そこをちゃんと「まあそういうもん」と割り切れば、単純な伴走サービスでいいと思うけどね。
2:05:54〜2:12:07 ピクチャリングの習得・抽象像・アウトカムとの違い
2:05:54 専光建志:
ピクチャリングのところが、なんかようやくわかった気がする。
2:06:00 Mugino Tamaki:
しかも、ようやく専光が理解してることが正しいということがわかった。
2:06:08 専光建志:
それはやっぱ、言語で流通するのがまずい。
2:06:12 Mugino Tamaki:
そう。
流通してるものを言語に訳したものを、私の言語で話して、それを専光の言語で返されて、
「なんか違う」
と思う、みたいなことをずっとしてたんだけど。
抽象だわ。ピクチャリングの日本語訳。
これもなんかロバート・フリッツ・ジャパンに提案したいぐらい、いい日本語訳だと思う。
2:07:11 専光建志:
なんかあれ、結構ね。
具体形成してバチバチに伴走すれば、結構身につくんですよ。
「適当な抽象化を抽象化と覚えること」が功罪なんで。
2:07:24 Mugino Tamaki:
いや、だからそう。
練習生の稽古場にずっと行ってたのよ、私。
でさ、それがなんか意味のある上達をしてるようには思えなかったわけ。自分も、その人も。
で、
「その人ってピクチャリングできてるんですか?」
みたいなことを、その二人に聞いたのよ。
なぜなら、稽古をしてるんだけど、あんまり自分自身の上達も感じられないからって話をしたら。
今、毎週水曜日の朝開いてくれてんだけど、それはめっちゃいい。
田村さんが具体的にフィードバックしてくれるのね。
まあ、ロバートの代わりを田村さんがやってる。
2:08:10 専光建志:
多分だけど、一回これがわかったら多分できる。
2:08:18 専光建志:
で、逆にできない人は一回も達成しないと思います。
2:08:21 Mugino Tamaki:
まあ、もうほんとそうだと思う。
今日ちょっと、これも言語だかわかんないけど、「抽象」ってわかったら、なんかもうやってみるけど。
2:08:38 専光建志:
景色の解像度が高いことを、みんな「具体」って呼んじゃうんで。
それじゃなくて、
願いにおける抽象像なんで。
2:08:49 専光建志:
それは、あらゆる言語で表してる舞台の片鱗から、
[それら]が表している、その矢印の抜け先の真ん中なんですよ。
2:09:04 Mugino Tamaki:
あー、すごい!
2:09:06 専光建志:
上下ツリーじゃなく、円環で書けば多分みんなできると思う。
2:09:18 専光建志:
願いが上にあるからわかりにくいんだよ、あの緊張構造チャート。
上にあると、みんな丸い短いこと書き出すんで。
2:09:31 Mugino Tamaki:
なるほどね。
ちなみに前もちらっと見せたけど、緊張構造チャート、こんな感じで使うんだって。今回。
2:09:57 Mugino Tamaki:
望む成果があって、それに対するリアリティがあって。
で、じゃあまず一旦、これを達成するための一つのステップがこれ。
で、この一つのステップを分解したのがこれ。
これ結構初めて、緊張構造チャート使ってやったわ、みたいな感じ。
で、これがサービスリリースできたら次、現実がまた変わるじゃん。
で、そこ更新して、望む成果が更新ないか確認して。
そうすると、これが終わった後の次のステップが出てくるわけ。
2:10:45 専光建志:
今これ、多分短文テキストになってるから、一番上のが。
2:10:51 専光建志:
ロングテキストになってるか、またなんか画像を入れてもいいけどね。
なんかやっぱ、
2:10:58 専光建志:
イメージ、像が確からしいけど、言語化はリプレイスされてくから。
2:11:17 Mugino Tamaki:
それは採用して、ちょっとこれに画像をどう反映させるか考える。
ちなみに達成記述、2026年12月31日にしてるわ。
2:11:29 専光建志:
「アウトカム」って言葉もなんか若干やっぱ、
生まれる成果、売上とか結果の指標って聞こえちゃうんで。
まあ、ピクチャリングした上でそれを置く分にはいいんだけど。
ピクチャリングが間違って、そのステッカーだけ置いちゃうと事故じゃないですか。
2:11:54 Mugino Tamaki:
うん、そうだね。
まあ、望みじゃない方向に行くよね。
あるいは、このテンションが働かなくて動かないか。
ピクチャリングとは何か