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SHIGOTOの最終章。その先ではなく別の現実の話

AIによる労働の変化をどう見るか。私には業務改革や効率化には見えていない。『SHIGOTO』の最終章に入った感じがする。続編のようなものも多分あるんだとは思う。

この知恵で考えられること

AIによる労働の変化をどう見るか。私には業務改革や効率化には見えていない。『SHIGOTO』の最終章に入った感じがする。続編のようなものも多分あるんだとは思う。

視聴者も参加者も圧倒的に最大規模だった世界最大のエンタメがある。

オープンワールド型エンターテイメント「SHIGOTO」

AIによる労働の変化をどう見るか。私には業務改革や効率化には見えていない。『SHIGOTO』の最終章に入った感じがする。続編のようなものも多分あるんだとは思う。

その変化を見た上で、自分たちは何を引き受けるのか。

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SHIGOTOの最終章

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仕事はこれまでも、生活のための手段であるだけでなく、参加の場でもあり、観戦の場でもあり、所属の装置でもあった。働くことそのものが目的だったわけではなくても、そこには毎日やることがあり、役割があり、他人との接点があり、生活のリズムがあった。

多くの人にとって「仕事」は、経済だけでなく、時間、関係、社会参加、自己認識をまとめて引き受けていた。だから変化するのは、単なる作業の方法だけではない。人が世界に参加する仕組みそのものが変わる。

仕事というゲームの中で、何をするか、誰とやるか、どう認められるか、どう生活を支えるか。そういう複数のものが、これまではある程度ひとまとまりで成立していた。

そのまとまりが、いま崩れ始めている。

自分には、それが「SHIGOTOの最終章」に見える。

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席が減る、流れが変わる

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AIの影響は単に「ある作業が自動化される」という話としてだけ見ると、少し見誤る気がしている。本当に起きるのは、仕事そのものの変化だけでなく、席の構造の変化。

これまでは、労働集約的なホワイトカラー業務、暗黙知を持ちながら調整する役割、ハイコンテキストな知的生産などが、それぞれある程度の人数を必要としていた。しかし、外国人労働者の組み入りで世の中が騒ぐのと同様に、機械労働力AI、with AIの実践が進むほど、同じアウトプットを出すのに必要な人数は減る。

コアチームの最小構成員数、国ごとに個別的に仕組みを作る必要性、とある何かを細かいニーズに最適化するための組織の数。この3つの変化が根本的にオープンワールドエンターテイメントSHIGOTOの面白い役割の座席数を減らす。

アウトプットの価値や原価に人はお金を払っている。だから移動や農耕、作業の生産革命はいつも価格減少と需要拡大を同時に爆発させていた。

けれど、今回のコストダウンの対象は知性である。つまりニーズが爆増する可能性はないのである。

そして、減るのは作業工程としての下流だけではない。中間層の多くも圧縮される。「それなりに複雑で、それなりに給料が高く、それなりに人がいた席」が削られる影響のほうが大きいかもしれない。

しかも、それは一箇所で終わらない。複数のレイヤーで席が減ると、上にいた人が下に流れ、役割が重なり、全体として人口が下方にずれる。結果として、これまで成立していたキャリアの連続性が崩れていく。

つまりこれは、「新しい仕事が生まれるから大丈夫」とだけ見ていい変化ではない。

どの席が減り、誰がどこへ流れ、何が重なっていくのか。

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SHIGOTOロス

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私が少し気にしているのは、仕事が減ることそのもの以上に、その結果として起きるSHIGOTOロスのほうだ。

暇で、退屈で、貧しい人口が増えると、ろくなことが起きない。これは道徳の話ではなく、かなり構造的としてみている。

人間は、ただお金が減るだけで不安定になるわけではない。役割、関係、時間のリズム、手応え、承認、参加感覚が一緒に薄くなると、かなり危うくなる。仕事はその全部を十分に満たしていたわけではないが、それでも代替されない機能を大量に持っていた。

だから、単に失業や所得としてだけではなく、社会参加の器が薄くなること、退屈が広がること、意味の欠如が増えること、その状態で人間同士の影響が連鎖することを想像しておく必要がある。

他人と協力する必要性がより下がった世界で、人は他人をどこまで尊重できるか。貧しい地域では先進国ほどには周囲に嫌われることを厭わないこともあるという。それは関係性の構築によるメリットもデメリットも先進国より薄いのである。

成功者やインフルエンサーが炎上することもまた同じ原理のように見えている。

コロナのときのように、人間の性質の連鎖から、原因に対して過剰な現象が起きることもある。詐欺やハッキングの増加、極端な言説の流通、攻撃的な振る舞い、依存先の先鋭化など、いろいろな形で出るかもしれない。

労働の流動、人口の流動、金融の流動、物資の流動、価値観の流動。一つひとつは別の話に見えても、実際にはかなり絡み合っている。

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トゥルーエンド

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では、こうした変化にどう向き合うか。

自分は、勉強とシミュレーションによる未来予測を強く信じることが正解だとは思っていない。先々を読むことは必要だと思う。けれど、読みを信じすぎるのも危ない。

複雑すぎるし、変数が多すぎるし、人間の連鎖反応まで含めると、どうせ完全には読めない。だから必要なのは、具体的に想像して視認しつつ、全然違うフィクションと遊ぶ力で、論理的な結論を受け流すことなのだと思う。

リアル・現実を見たうえで、現実に飲み込まれないための態度に近い。悲観も楽観も、ひとつのストーリーに閉じると危うい。未来を読むが、未来の読み筋に自分の主観を明け渡さない。自分にとっての面白さや、遊ぶ力や、別の現実をつくる感覚を残しておく。

自分にとっては、それがかなり大事なバランスに見えている。

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あなたは何を引き受けるのか

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このタイミングで重要なのは、「どう生きるか」という一般論より、何を引き受けるのか だろう。

なんで、わざわざ関わるのか、わざわざ遊ぶのか、わざわざ造るのか。

どこで生きるのか。誰と生きるのか。どこまで引き受けるのか。何を自分の役割と見なすのか。働き方やキャリアの話も、もちろんその一部ではある。これからは、仕事、生活、関係、社会参加、創造、自治の境目がこれまでより曖昧になる。その中で、自分がどの現実を引き受けるのかが、より直接的に問われる。

昔から本来必要だった、「サラリーマンこそ先を見てキャリアを選ぶ」みたいな感覚が、これからはより必須になるのだと思うけれど、実態として社会が実践できているのは発生ベースでの素早い切り替えである。変化に合わせて成長する、オーダーに合わせてピボットする、という話だけでは遅い可能性もある。

今回の技術変化は労働寿命よりも短い時間で完結してしまうことが、過去の技術革新とは訳が違うポイントである。ITの登場は現在60歳の世代が20歳のころから勃興していたけれど、ITをわからずとも座席はたんまりとある変化だった。

自分の立場、性質、経験を踏まえながら、今はまだ一般的ではない役割や、まだやったことのない仕事も視野に入れて、先に動き始める必要がある。

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被観測性と自由

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人が今日という一日を味わうには、自分が透明ではなく、世界のどこか一箇所と確かにつながっているという実感が必要になる。自分はこれを「被観測性」と呼んでいる。

これは、自分という存在が、外側の世界で確かに実在していると本人が感じられる状態のことだ。ごく個人的な接続。たった一人でも、自分を自分として認識してくれる相手がいること。代名詞を通じた外在化。自分の言葉や作品や活動が、自分の手を離れたあとも存在している。誰かに届き、使われ、反応を生み、自分がいない場所でも世界と接続している。

これら感覚は、人に「自分は消えていない」という連続性を与える。

そして、その連続性は、自由の感覚につながっていく。自分の言葉が残る。自分の行為が現実を変える。自分の選択が世界の一部になる。そうした経験を通じて、人は少しずつ「選んでいい」「表現していい」「始めていい」「やめていい」と思えるようになる。つまり、代名詞は、世界との接続と自由の感覚を結びつける。

何もしなくてもいいのに、見ている。見ていてしまう。そういった役割は「引き受ける」という活動の根幹にある。

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主観の回復・解釈の自由が実態を持つ

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何のために生まれて、何をして生きるのか。 わからないまま終わるそんなのは嫌だ。

オープンワールドエンターテイメント「SHIGOTO」の終わりと同時に、世界は解釈の自由が実態を持つ世界へ落下していっている。

SHIGOTOは、自由度の高いオープンワールドエンターテイメントだった。いろいろな遊び方とドラマがあった。収入、肩書、所属、成長、成功といった共通の尺度があった。自由に遊べるけれど、何をして遊んでいるのかについては、かなり大きな共通認識があった。

SHIGOTOの解体により、そのまとまりがほどけていくことを見逃してはならない。

解釈が変わることで、つくるもの、他者との関係、資源の使い方、日々の過ごし方が実際に変わる。その結果として、世界としても別の実態が生まれざるを得なくなる。自分の解釈が、自分の頭の中だけではなく、他者が触れたり、参加したり、続きをつくったりできるものになる。主観を回復した人類が自分の解釈を、現実を構成する一つの起点として使えるようになることなのだと思う。

SHIGOTOはもうやらなくてもいいんだってさ!

こんなに人類全体で仕事をネガティブに揶揄しているのに、この一言がワクワクよりソワソワしてしまうのは何故なのだろうか。

それぞれの解釈で、何を引き受け、どんな現実と遊ぶのかへ。

このの転換をどれだけヘラヘラとワクワクと通過していけるか?それが試されている本当の内容かもしれない。

図・資料

SHIGOTOの最終章。その先ではなく別の現実の話|Tinker