この知恵で考えられること
大前提、欲しいモノを捉えるってめっちゃむずい。自分の欲しいものすら得てみたら違ったりするし、得てみたら最高だったりもする。
長めの冒頭
欲しいモノってむずい。
大前提、欲しいモノを捉えるってめっちゃむずい。自分の欲しいものすら得てみたら違ったりするし、得てみたら最高だったりもする。
欲しいモノを特定するには、言動や認識に左右されないことが何よりも重要。
言語は、情報量と解像度はいずれも現実と比較するとどうやってもかなり落ちている。
「いいね」は論理的に起こせるが、「欲しい、他より欲しい、お金払ってでも欲しい、それあるなら他いらない」ってのは
補足
自己実現にも商売にも、戦略は2つある。
- 欲しいを手に入れる、実現する
- 欲しいを手に入れる、実現することに影響を与えられることをする
今回の整理はいずれにも役に立つっちゃ立つけど、比較的前者の戦略に比重がある。
設計書ってむずい
設計書とは、端的に言えば作るなら前に作れる確率や効率を上げるための準備である。
設計書はみんな書くけど設計書として機能してるシーンはほぼ見かけない。
何が起きてるのか
世の中で「設計書と言われているモノってこんなかんじだよな〜。それに似た何か」を作っていることが多い。
みんなめっちゃ設計書書いたり言語化するのに、その設計があったから本当に進んだのか?についての検証が弱い。
正直、ないと進めにくいといういう態度を取る人が多いだけで必須ではない。
あくまで、欲しいモノや現実を作り上げる流派の一つが事前に設計する、考えるという行為。
多くの場合は情報が多いのに、必要な選択が特に設計の中で行われていない状態。
作り始めたのに作業者に質問されるということは設計者ではなかったわけである。
欲しいモノの概念の一枚絵

解説してみる
設計に必要なのは欲しいモノだけ。
- 作り手やユーザーは何を手に入れるのか
- これがないならば全ての議論は思想の機能論しか出来ない。
- そこで出てくるものへの評価軸も存在しない。
- なんでも欲しい子供がおもちゃ売り場にいる状態。
仕様を書くことではない
- 設計とは、選択すること。
- 何を作るか何を作らないかを、自分も他人も決められること。
思想は設計とは別。
- なぜなら、全部その思想に合っていると言えてしまう。
- 思想はどう考えるか?の方向性をしか決めてない。
- 内容も優先順位も妥当性も決まらない。
「◯◯じゃない」も設計ではない。
- 決まるのは何を作らないかだけ。
- 何を作るのかは決まらない。

テキストである必要もない
思想から下ろせるじゃん〜?って人はいるんだけど、それは設計書にも書いてない脳内イメージから決めてる。
ならテキストで設計書を書かなくていい。むしろ言葉を書かない方がいい。
チームや、昨日の自分と明日の自分が積み上げ型で基準を持って選択できるようにするためのツール。
犬でも猫でも設計、つまり欲しいモノを持って生きたり指揮している。
それが機能するならば、言葉である必要もない。昔の建築家の設計書は詩とかもある。
欲しいモノって何
それを手に入れるとその理想状態に近づける具体的な道具やツールであり、他に説明文書がなくとも欲しいと言えるモノである。
Slack
- **欲しいモノ:**会話が整理された状態で大人数が協働できるのに会話が流れない職場
- **思想:**良いコミュニケーションを作りたい
- **理想状態:**組織内で情報共有がスムーズ、誰でも会話に参加できる、部署間連携ができる
- **仕様:**チャンネル、スレッド、スタンプ、通知、検索
吉野家
- **欲しいモノ:(1例)**考えずに飯を食いたい
- **思想:**おいしい牛丼を提供したい
- **理想状態:**満足して帰宅する、安く食事できる、元気になる
- **仕様:**牛丼、券売機、テーブル、深夜営業
だから飲み会帰りに吉野家欲しい?は成立
セブンイレブン
- **欲しいモノ:**今すぐ必要なものが手に入る生活の穴埋め
- **思想:**便利な生活を作りたい
- **理想状態:**生活に困らない、いつでも必要な物が買える
- **仕様:**おにぎり、ATM、コピー機、宅配受取、コーヒー
近くにセブン欲しい?は成立する。
ATM欲しい?コピー機欲しい?も用途による。
wii
- 欲しいモノ:お母さんにとやかく言われにくいゲーム機
コラム
モノを作れるやつ
1. 欲しいモノがわかるやつ
2. 作ってたら欲しいモノを作っちゃうやつ
前者は再現性があり後天的にも可能。
どんなものを作るかによっては個人が1か2かどっちでもないかは違う。
人生と似てる
欲しいモノがない人は、転職・起業・英語・筋トレみたいな「仕様」を延々と比較したり、機能拡充を続ける。
欲しいモノがないプロダクトチームも、AI・通知・ランキングみたいな「仕様」を延々と比較する。
人が不幸になるときと開発が長期化するときは、どちらも「欲しいモノ不在で判断基準がない」という同じ構造をしている。