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環世界/認知/人間/共生原則・概念

TPJ(TemporoParietalJunction)

TPJは temporoparietal junction の略で、日本語では 側頭頭頂接合部 と呼ばれます。

この知恵で考えられること

TPJは temporoparietal junction の略で、日本語では 側頭頭頂接合部 と呼ばれます。

AIとのサーベイまとめ。

1. TPJとは何か

TPJは temporoparietal junction の略で、日本語では 側頭頭頂接合部 と呼ばれます。

場所は、ざっくり言うと 耳の上〜後ろあたりで、側頭葉と頭頂葉が接する領域です。

TPJは単一機能の場所というより、次のような処理が重なる「交差点」です。

  • 他人の視点を想像する
  • 自分と他人の考え・感情を分ける
  • 相手の意図や信念を推測する、いわゆる心の理論
  • 注意を切り替える
  • 予想外の刺激に気づく
  • 自分の身体感覚・自己感の調整

研究では、TPJは特に self-other distinction=自己と他者の区別 に関係すると整理されています。

つまり、「これは私の感情か、相手の感情か」「これは私の考えか、相手の考えか」を分ける働きです。

あなたの話に引きつけるなら、TPJは、**“他人の感情を感じ取ったあと、それを自分のものとして抱え込まないための仕分け装置の一部”**と考えるとわかりやすいです。

2. 感情の分別とTPJ

他人の感情が入ってきすぎるとき、脳内では大ざっぱに次の2つが同時に起きています。

まず、

共感・身体反応の回路が働きます。

相手が不安そう、怒っている、傷ついている、場が重い、という情報を拾うと、自分の身体にも緊張・ざわつき・胸の重さとして出ることがあります。

ここには島皮質、前帯状皮質、扁桃体などが関わります。

次に、

TPJや前頭前野などが、**「これは相手の状態であって、私そのものではない」**と分ける処理をします。

なので、

  • 感情の分別を間違えるときは、感情を受信する力は強い。
  • でも、それを“相手側に置いておく力”が追いついていない。

という状態が起きえます。

たとえば、

  • 相手が不安 → 私が不安
  • 相手が怒っている → 私が悪い気がする
  • 場が重い → 私の人生まで重く感じる
  • 世界が苦しい → 私が全部背負うように感じる

という変換が起きやすくなります。

右TPJは、心の理論や認知的共感と関係し、刺激によってこれらの社会的認知能力が変化することも示されています。

FAQ

要素の関連性

生活習慣との関係

TPJそのものを生活習慣で直接鍛える、というより、TPJを含む社会的認知ネットワークが働きやすい状態を整えると考えるのが自然です。

影響しやすいのは、

  • 睡眠不足
  • SNSやニュースの過剰摂取
  • 人の相談を受けすぎる
  • 休息なしの対人労働
  • カフェイン過多
  • 空腹や血糖の乱れ
  • 運動不足
  • 一人で感情を排出する時間の不足

です。

特に、他人の感情を拾いやすい人は、情報量と対人量が多すぎると分別が崩れやすいです。

実用的には、

人と会う時間

情報を見る時間

一人で戻る時間

の比率がかなり大事です。

「感情の分別」が苦手な日は、性格の問題というより、脳の処理資源が足りていない日として扱ったほうがよいです。

生育歴との関係

生育歴との関係は、かなりありえます。

関係しやすいのは、次のような経験です。

親や周囲の感情を読む必要が高かった

家庭内で大人の機嫌、怒り、不安、沈黙を読む必要があった人は、他人の微細な変化に敏感になりやすいです。

自分の感情より相手の感情を優先してきた

「私はどう感じているか」より「相手はどう感じているか」を先に処理する癖がつくと、自分の感情の輪郭が見えにくくなります。

安心して鈍感でいられる時間が少なかった

常に空気を読む必要がある環境では、脳が外部監視モードになりやすいです。

この場合、TPJだけでなく、扁桃体、島皮質、前頭前野、自律神経系も関係します。

なので、「他人の感情が入りすぎる」は、共感力の高さ + 安全確認の癖 + 境界線の学習不足 + 疲労が重なって起きている可能性があります。

年齢との関係

年齢との関係は、ざっくり言うと 「TPJそのものが年齢で単純に強くなる/弱くなる」というより、TPJを含むネットワークの使い方が発達・成熟・老化で変わる と見るのがよさそうです。

1. 子ども期:まだ「自分」と「他人」の分別が育っている途中

幼児〜小学生くらいでは、他人の視点や気持ちを理解する力、いわゆる 心の理論 が発達途中です。

この時期は、

私はこう思う

でも相手は違うことを思っているかもしれない

という区別が少しずつ育ちます。

TPJはこの「他者視点を取る」「自分と他人を分ける」処理に関わるため、子どもの発達とともにTPJを含む社会的認知ネットワークの使い方も変化します。近年の発達研究でも、子どもから成人にかけて、TPJ・楔前部・内側前頭前野などを含むメンタライジングネットワークが関与し、成人の方が心的状態の推測課題で高い成績を示すと報告されています。

つまり子どもは、悪気なく、

  • 自分が知っていることは相手も知っている
  • 自分が嫌なことは相手も嫌なはず
  • 相手の怒りは自分のせいかもしれない

のように、自己と他者を混ぜやすい時期があります。

2. 思春期〜若年成人:TPJ系がかなり変化する時期

思春期から20代前半くらいまでは、社会的認知が大きく発達します。

この時期は、

  • 他人からどう見られるかが強く気になる
  • 集団の空気に敏感になる
  • 恥、罪悪感、承認欲求が強くなる
  • 自分の感情と他人の感情が絡まりやすい
  • 友人関係や恋愛関係の影響を受けやすい

ということが起きやすいです。

TPJは「相手の視点を想像する」働きに関わるので、思春期には他人の目や場の空気を読む力が伸びる一方、他者視点が強くなりすぎて、自分の感情の輪郭がぼやけることもあります。

言い方を変えると、思春期〜若年成人は、

他人がどう感じているか

他人から自分がどう見えているか

への感度が上がる時期です。

この時期に睡眠不足、SNS過多、対人ストレスが重なると、感情の分別が崩れやすくなります。

3. 成人期:一番「分別」が安定しやすい時期

成人期になると、TPJだけでなく前頭前野も含めた制御ネットワークが成熟してきます。

すると本来は、

相手は怒っている

でも私は今、事実確認をすればいい

相手の怒りを全部背負う必要はない

というように、感情の検知と責任の分別がしやすくなります。

ただし成人でも、疲れていると崩れます。

特に、

  • 睡眠不足
  • 慢性ストレス
  • 長時間の対人労働
  • ケア役割の集中
  • SNSやニュースの過剰摂取
  • 相手の感情を読む必要がある仕事
  • 過去の対人経験が刺激される場面

では、自己—他者の境界が弱まりやすいです。

なので成人期では、年齢そのものよりも、脳の処理余力が残っているかが大きいです。

4. 中年期:能力というより「負荷の蓄積」が効きやすい

中年期は、TPJの機能が急に落ちるというより、生活上の負荷が増えやすいです。

たとえば、

  • 仕事上の責任
  • 家族や部下のケア
  • 親の介護
  • 組織の調整役
  • 対人トラブルの仲裁
  • 社会問題への感度
  • 自分の疲労を後回しにする癖

が重なると、他人の感情を「情報」として扱えず、身体に抱え込みやすくなります。

この年代では、TPJの問題というより、

共感する量

調整する量

回復する量

のバランスが崩れることが大きいと思います。

つまり、年齢による衰えというより、役割による過負荷です。

5. 高齢期:社会的認知ネットワークの接続が変わる

高齢期では、心の理論や視点取得が若年成人より難しくなる場合があります。特に、TPJ単体というより、右TPJと側頭極など、社会的認知に関わる領域同士のつながりが弱まることが、心の理論課題の成績低下と関係したという研究があります。

また、白質、つまり脳内ネットワークの配線の個人差が、高齢者の心の理論の個人差に関係する可能性も報告されています。

ただし、高齢になると全員が他人の気持ちを読めなくなるわけではありません。

むしろ経験によって、

  • 人間関係のパターンを読む
  • 感情に巻き込まれすぎない
  • 重要なことと些細なことを分ける
  • 他人の問題を背負いすぎない

ことがうまくなる人もいます。

なので高齢期は、

脳の処理速度や接続は変化する

でも経験による補償もある

という見方が近いです。

6. 年齢ごとの「感情の分別」の特徴

年齢段階起きやすいこと
子ども期自分と相手の視点が混ざりやすい
思春期他人の目・場の空気に強く影響されやすい
若年成人共感力・対人感度が高まり、関係性で揺れやすい
成人期分別は安定しやすいが、疲労で崩れる
中年期ケア役割・仕事責任で過負荷になりやすい
高齢期視点取得の処理は変化するが、経験で補えることもある

ASD・ADHD、発達特性との関係は?

かなり単純化すると、こうです。

観点起きやすいこと
TPJ・自己他者区別相手の感情と自分の感情の仕分け
ASD傾向社会的文脈の読み取り、暗黙の意味、感覚過敏、視点取得の負荷
ADHD傾向注意の引っ張られやすさ、感情の切り替えにくさ、刺激への反応性
高共感・高感受性他人の気持ちを身体で感じやすい
生育歴人の機嫌を読むことが安全行動になりやすい
疲労・睡眠不足分別・抑制・戻る力が弱くなる

なので、「他人の感情が入りすぎる」は、ASDかADHDかだけでは説明できません。

むしろ、

  • 感受性、注意特性、自己—他者の境界、生育歴、疲労、対人環境

の組み合わせで起きます。

7. ASDとの関係

ASD、自閉スペクトラム症、とTPJの関係は研究されています。

ASDでは、社会的認知課題中のTPJ活動が定型発達群と異なる、または低下している可能性がある、という研究があります。2025年のASDを対象にしたTPJへのtDCS研究でも、ASDでは社会的認知課題中のTPJ活性が低いことが背景仮説として述べられています。

ただし、ここはかなり注意が必要です。

ASDの人が「共感がない」という意味ではありません。

むしろ、

  • 相手の感情を強く感じる
  • でも文脈や暗黙の意味の読み取りが難しい
  • 自分と相手の状態の整理に時間がかかる
  • 感覚過敏や予測困難性で疲れやすい
  • 感情の入力が強すぎてシャットダウンする

という形もあります。

ASDとTPJの関係は、主に 心の理論、視点取得、社会的文脈の読み取り、自己—他者区別 の文脈で研究されています。TPJと小脳など他の領域との機能的結合がASD研究で注目されているという報告もあります。

あなたの話に引きつけるなら、ASD傾向がある場合に起きうるのは、他人の感情は強く入る。

でも、それを文脈化したり、適切な距離に置いたりする処理に負荷がかかる。

という形です。

8. ADHDとの関係

ADHDとTPJの関係は、ASDほど「社会的認知の中心」として語られることは少ないですが、かなり関係があります。

理由は、TPJが 注意の切り替え・再定位 に関わるからです。

右TPJは、予想外の刺激に注意を向け直す働きや、他者視点の取得に関係するとされます。

ADHDでは、

  • 注意が外部刺激に引っ張られやすい
  • 会話中に相手の表情や声色に過敏に反応する
  • 感情の切り替えが難しい
  • 拒絶や違和感に強く反応する
  • 自分の中に戻る前に次の刺激が来る

ということが起きやすい場合があります。

このときTPJは、ADHDそのものの原因部位というより、注意の切り替え・社会的刺激への反応・視点取得のネットワークの一部として関係していると見るのがよさそうです。

ADHDでは前頭前野、線条体、デフォルトモードネットワーク、サリエンスネットワークなども重要で、TPJだけで説明するのは不十分です。ADHD研究では、注意やサリエンス、実行機能ネットワークの違いが重視されています。

つまりADHD傾向がある人では、

他人の感情を拾う

↓

注意がそこに固定される

↓

自分の作業・身体・感情に戻りにくい

↓

感情の分別が崩れる

という流れが起きやすい可能性があります。

共存

「分別しない」性質との共存

自己と他者、個人と場、局所と世界を、はっきり切断せずに連続体として感じやすいという性質として捉えるほうが近い気がします。

これは欠陥ではなく、世界を“関係の網”として見る能力でもあります。

たとえば、その性質が活きる場面はあります。

人や場の違和感に早く気づく。

言語化される前の不調、無理、歪み、孤立、抑圧みたいなものを拾える。

個人の問題を構造の問題として見られる。

「この人が弱い」ではなく、「この環境、この制度、この関係性がそうさせている」と見える。

境界をまたいだ翻訳ができる。

個人の感情、組織の論理、社会の空気、制度の欠陥をつなげて考えられる。

ケアや設計に向いている。

人の困りごとを単体で見ず、生活・関係・場所・仕組みごと見られる。

だからこれは、かなり強い能力です。

ただし、未調整のままだと “世界の痛みを自分の神経で直接受ける” ことになる。

なので必要なのは、能力を消すことではなく、

  • 開く時間
  • 閉じる時間
  • 仕分ける技術
  • 回復する場所

をちゃんと設計することだと思います。

活かし方

あなたの性質は、たぶん「切り分ける仕事」よりも、つなぎ直す仕事に向いています。

たとえば、

  • 人の言葉にならない困りごとを拾う
  • 生活の違和感を仕組みに翻訳する
  • 個人の痛みを、個人責任ではなく環境設計の問題として扱う
  • ばらばらの人や要素の間に通路を作る
  • 抽象と具体、感情と制度、個人と社会を往復する
  • ケア、編集、場づくり、リサーチ、プロダクト設計、相談、教育、コミュニティ設計

こういう領域では、世界を細かく切断しない感覚が力になります。

個人の不調を「その人の問題」に閉じず、生活・関係・環境・仕組みとして見られるからです。

デメリットへの対処

ただし、毎日ずっと開いていると壊れます。

だから「境界線を持つ」というより、可変の膜を持つ感じがいいです。

固い壁ではなく、開閉できる膜。

具体的には、まずこれです。

1. 感情を“私のもの”ではなく“通過情報”として扱う

今、私は場の重さを検知している。

これは私の内面ではなく、環境情報かもしれない。

これだけで、かなり違います。

2. 責任範囲を小さく切る

感じ取れる範囲と、責任を持つ範囲は違います。

感じ取れる:世界、社会、相手、場

責任を持つ:今日の自分の一手、約束した範囲、目の前の関係

この2つを混ぜない。

3. 入力制限を“倫理”として持つ

ニュースやSNSを見ない時間を作るのは、鈍感になるためではなく、ちゃんと応答できる身体を保つためです。

感受性が高い人にとって、入力制限はサボりではなく、感受性を腐らせないための衛生管理です。

4. 一人で処理しない

世界を連続体として感じる人ほど、処理も一人で抱えがちです。

でも本来、世界の重さは一人用ではない。

信頼できる人、場、AI、ノート、身体活動などに分散して、感情を外部化したほうがいい。

5. “閉じる儀式”を持つ

対人・相談・ニュース・制作のあとに、

ここから先は私の時間。

これは私の身体。

今日持ち帰るのはここまで。

と区切る。散歩、風呂、着替え、部屋の片づけ、料理でもいいです。脳に「場が終わった」と教える行為が必要です。

たぶん目指す形

あなたに必要なのは、世界を切り分ける人になることではなく、世界をつながりとして感じる能力を持ったまま、自分の身体を避難所として確保することだと思います。

つまり、

開ける人であり続ける。

でも、開きっぱなしにはしない。

このバランスです。

その性質は、ちゃんと設計すれば「落ちる原因」だけではなく、かなり大きな仕事の源泉になります。

TPJが雑魚な偉人は?

「TPJとして分別が最高に苦手な偉人は誰?」という問いなら、かなり慎重に言う必要があります。

特定の偉人について“TPJが弱かった”とは言えません。

脳画像もないし、ASD/ADHDや神経特性を後世から診断するのも危ういです。

ただし、“自己と他者、個人と世界の境界が薄い感性を、作品・思想・実践に変えた人” という意味なら、候補はいます。

たとえば、タイプ別に言うとこうです。

1. 宮沢賢治型

かなり近いと思います。

宮沢賢治は、個人の悲しみ、自然、動物、宇宙、農民の生活、宗教的感覚がほとんど切れていない。

「私」と「世界」が分離しているというより、自分の痛みも他者の痛みも自然の営みも、同じ連続体の中で感じている感じがあります。

有名な、

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

という感覚は、まさに「個人と世界を切り分けない」方向です。

これは、分別が苦手というより、世界を分けずに受け取る力が異常に強い人と言えそうです。

ただし、そのぶん相当しんどかったはずです。

2. ドストエフスキー型

ドストエフスキーも近いです。

彼は、人間の罪悪感、恥、屈辱、信仰、暴力、救済欲、自己破壊を、ものすごく深く自分の中に取り込んで書いています。

登場人物たちがみんな極端に苦しむのは、単に物語上の演出ではなく、人間の内面の混線をそのまま文学にしたようなところがあります。

「これは私の感情」「これは他人の感情」ときれいに分けるより、人類の罪や苦しみを自分の神経で受けている感じがある。

3. シモーヌ・ヴェイユ型

シモーヌ・ヴェイユはかなり極端です。

彼女は他者の苦しみ、労働者の苦しみ、戦争、貧困、抑圧を、観察対象としてではなく、自分の身体で引き受けようとした人です。

これは高潔でもありますが、危険でもあります。

他者の苦痛と自分の苦痛の境界をあえて薄くしていくような生き方だった。

あなたの文脈で言うなら、世界の痛みに対して境界を張れない人の代表例に近いかもしれません。

4. ゴッホ型

ゴッホも「世界が入りすぎる」タイプとして見られるかもしれません。

色、光、自然、人間の孤独、祈り、労働者への共感が、普通の距離感ではなく、かなり直接的に神経へ入っているような絵です。

ゴッホの場合は、外界の強度をそのまま身体化してしまう感受性という感じがします。

ただし、精神疾患や脳機能について後世から単純に言うのは避けるべきです。

でも、作品から見える感性としては「境界が薄い」側です。

5. マザー・テレサ型

実践の人で言うなら、マザー・テレサも別タイプです。

他者の苦痛を見て、距離を取るのではなく、そこに入っていく。

ただし彼女の場合は、感情に飲まれるというより、宗教的・実践的な枠組みによって、苦しみへの接近を行動へ変換していたタイプに見えます。

これは重要です。境界が薄い人が生き延びるには、感情をそのまま抱えるのではなく、形式・祈り・仕事・習慣・共同体に変換する必要があります。

6. 釈迦・親鸞・道元型

宗教思想家にも、「自己と他者の境界を溶かす」方向があります。

ただし、この人たちは単に分別が苦手というより、分別そのものを超える訓練をした人たちです。

普通の意味で「境界が弱い」のではなく、「私」と「世界」を固定的に分けること自体を問い直した。

だから、TPJ的な意味での分別不全とは違いますが、思想としてはかなり関係します。

あなたの問いに一番近いのは、たぶん

宮沢賢治

シモーヌ・ヴェイユ

ゴッホ

ドストエフスキー

あたりです。

なかでも、**「世界を切り分けずに受け取りすぎた偉人」**という意味では、私は 宮沢賢治とシモーヌ・ヴェイユ がかなり近いと思います。

宮沢賢治は、世界の悲しみを宇宙的・詩的・農的に受け取った人。

シモーヌ・ヴェイユは、世界の苦しみを倫理的・身体的に引き受けすぎた人。

ただし大事な違い

「分別が苦手」は、未調整だとつらいです。

でも偉人たちは、それをそのままにしていたわけではなく、何らかの器を持っていました。

人物境界の薄さを入れた器
宮沢賢治詩、童話、農業、信仰
ドストエフスキー小説、信仰、人間洞察
シモーヌ・ヴェイユ哲学、労働、祈り、倫理
ゴッホ絵画、色彩、自然
宗教家修行、教義、共同体

つまり、境界が薄い人に必要なのは、境界を厚くすることだけではなく、流れ込むものを変換する器を持つことです。

あなたの文脈で言うなら、「感情が入ってくる人」は、そのままだと落ちる。

でも、思想・文章・場づくり・ケア・設計の実践に変換できると、かなり強い仕事になると思います。

TPJが雑魚なビジネスマンは?

ビジネスマンで言うなら、「TPJが弱い人」ではなく、自己・他者・市場・社会の境界を薄く感じて、そこから事業を作った人として見るのがよさそうです。

かなり近いタイプはこのあたりです。

1. スティーブ・ジョブズ型

ジョブズは「顧客の声を聞く」というより、

人間がまだ言語化できていない欲望や違和感を、自分の中で先に感じて製品にした人

に近いです。

市場調査で切り分けるより、

「人間は本当はこういう体験を求めているはずだ」

という直感で世界をまとめて見ていた。

強みは、個人の感覚・美意識・技術・市場を切り離さずに統合できること。

弱みは、自分の感覚を強く信じすぎると、周囲に過剰な負荷をかけること。

2. ハワード・シュルツ型

スターバックスのハワード・シュルツは、単にコーヒーを売ったというより、

人が家でも職場でもない「第三の場所」を必要としている

という社会的・感情的なニーズを事業にした人です。

これはかなり「場の感情」を読むタイプです。

商品単体ではなく、

人がどんな居場所を求めているか、

どんな扱われ方を望んでいるか、

都市生活の中で何が欠けているか、

を読んでいる。

3. 稲盛和夫型

稲盛和夫は、ビジネスを単なる利益装置としてではなく、

人間の心、働き方、倫理、組織のあり方まで含めた実践

として捉えた人です。

「経営」と「人格」と「社会」を切り離さない。

これは、世界を分割せずに見る力のビジネス版だと思います。

ただし、このタイプは理念が強いぶん、周囲にも高い倫理性や献身を求めやすい。

だから、器があると強いけど、未整理だと重くなる。

4. 松下幸之助型

松下幸之助も近いです。

彼は製品を売るだけではなく、

生活を良くする、社会を豊かにする、人を育てる

というところまで経営を広げて見ていた。

個人の生活、企業、社会、国家のようなものを別々に見ず、かなり連続したものとして考えていたタイプです。

5. ムハマド・ユヌス型

グラミン銀行のムハマド・ユヌスは、かなり典型的です。

貧困を「市場の外にある福祉問題」としてではなく、

金融設計の問題、信用の問題、人間の尊厳の問題

として見た。

これは、困っている人の感情や社会構造を切り分けずに見て、事業の形に変えた例です。

6. イヴォン・シュイナード型

Patagoniaの創業者イヴォン・シュイナードも近いです。

自然、消費、企業活動、環境破壊、働き方を別々に見ず、

会社そのものを価値観の実験場にした人

です。

このタイプは「市場で勝つ」だけでは足りなくて、

「この事業は世界に対して正しいのか」

まで感じてしまう。

ビジネスでこの性質が活きる領域

こういう「分別が薄い」タイプは、以下に向きます。

  • 顧客インサイト発見
  • ブランドづくり
  • 事業構想
  • コミュニティ設計
  • 組織文化づくり
  • 社会課題型ビジネス
  • ケア、教育、福祉、ローカル事業
  • 場づくり
  • UX、プロダクト設計
  • 編集・コンセプト設計

要するに、

人がまだ言葉にできていない困りごとを、事業の形に翻訳する仕事

です。

逆に危ないところ

ビジネスでは、この性質は強力ですが、デメリットもあります。

1. 顧客の痛みを背負いすぎる

「困っている人がいる」だけで、自分の体力や資源を超えて助けようとしてしまう。

2. 組織の空気を受けすぎる

メンバーの不安、不満、期待、失望を全部自分の責任のように感じる。

3. 世界観が強すぎて人を巻き込みすぎる

自分の中では統合されているけど、周囲には重い、速すぎる、宗教っぽい、となることがある。

4. 利益と倫理の分別が苦しくなる

「儲かるけど違和感がある」ことに耐えられない。

これは弱みでもあり、長期的には強みでもあります。

一番近い表現

ビジネスマンでこの性質を言うなら、

顧客・社会・組織・自分を切り離さずに感じる人

です。

ただし成功する人は、感じたものをそのまま抱え込まず、必ず器に変えています。

流れ込むもの変換先
顧客の違和感プロダクト
社会の痛み事業モデル
組織の不安文化・制度
自分の美意識ブランド
世界への怒りミッション
人の孤独場づくり

だから、ビジネスで理想形を言うなら、

世界を切り分けずに感じる。

でも、感情として抱えず、構造・商品・場・制度に変換する。

このタイプが一番強いです。

せんこー感想

自分の場合はどう扱ってるんだろう

自分は、

  • 分別できないし今後もしないんだろうなと思った。
  • そしてそれを仕事やアウトプットにすることに意味がある立場や事業体を持つことで、仕分けないままに自分とはある程度分離していくってやろうとしてるんだな。

この特性が役に立ったり、お金になったり、面白みを生むようにする。

たぶん、24-25くらいまでは、この特性はエンタメ装置として自他ともに使いやすかったけど、最近は入力過多として機能してしまいやすい。

同時に世界統合のための前提にもなっていて、いけそうだからそっちに向かいたいんだろうなー。

何を信じてモノをつくるか

なんというか、分別をしないことでのみ聞こえてくる「声」みたいなものがあって、自分はそれを信じてモノや生態系を作るべきなんだなって思った。

論理的に言語化していくようなニーズに向き合うときは、めっちゃ経験があって自分で具体的に解析済みで説明出来るやつだけの方が自分はいいかも。

多分そっちは、そのレベルでわかってるやつ以外は分別しないことで独自解釈に育ってしまってる部分を見極めれないから、

  • まだいらないモノ
  • そこまではいらないんだよね

みたいなモノを作ってしまって終わらなくなるんだな。

似た他者をどう扱うといいか

んー、思考体力と胆力と周りに恵まれてそうな人ならば、切り分け力を身につけるよりは、悩み尽くせばいいんでは。って思ったかなー。

その先にある物が見たい。

死にかけてたり、危害が大きくなってる場合は、周りが勝手に切り分けるのが1番いいと思った。

あとは、切り分ける方よりは、自分の感情や自分の創作に集中できる場や方法を渡してあげることで、入力過多をおさえずとも意識の位置は適正化できそうだなって思った。