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創造/実現経営/経済/持続性マネジメント事例・判断記録

善意を、参加条件にしない

- 知識を独占せずに公開しよう。 - 使わなくなった物を次の人へ渡そう。 - 困っている人に力を貸そう。 - 社会のために、少しずつ協力しよう。

この知恵で考えられること

- 知識を独占せずに公開しよう。 - 使わなくなった物を次の人へ渡そう。 - 困っている人に力を貸そう。 - 社会のために、少しずつ協力しよう。

善意を疑わず、善意に頼らない

何かを共有してほしいとき、私たちは人の善意に訴えがちである。

  • 知識を独占せずに公開しよう。
  • 使わなくなった物を次の人へ渡そう。
  • 困っている人に力を貸そう。
  • 社会のために、少しずつ協力しよう。

どれも正しい。

しかし、正しいことが、そのまま広がるとは限らない。

  • 社会にとって良いと思うことを始める。
  • その意味を丁寧に説明すれば、人は参加してくれると思う。
  • けれど、思ったほど広がらない。
  • 参加するのは、最初から強い問題意識を持った人ばかりである。いつも同じ人が手を動かし、責任を引き受け、少しずつ疲れていく。

そして、参加しない人を見ながら考える。

  • なぜ、この大切さが伝わらないのだろう。
  • なぜ、もう少し協力してくれないのだろう。
  • なぜ、人々の意識は変わらないのだろう。

社会を良くしようとする人ほど、この場所へ辿り着きやすい。

だが、本当に不足しているのは、人々の善意なのだろうか。

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アンラーンすべきもの

この記事が問い直したいのは、善意そのものではない。

問い直したいのは、次の考え方である。

良い社会は、良い目的に共感し、 不便を引き受けてくれる人を増やせば実現する。

この前提に立つと、活動が広がらない理由を、人々の理解や意識の不足に求めるようになる。

すると、さらに強く理念を伝え、共感を呼びかけ、参加者の献身に期待するようになる。

しかし、それによって参加できるのは、もともと問題意識が強く、時間があり、不便を受け入れられる人だけである。

社会に必要なのは、善意を薄めることではない。

善意を、参加者に要求するものから、仕組みをつくる側が引き受けるものへ移すことである。

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善意主義とは何か

ここでいう善意主義とは、善意を持つことではない。

正しい目的であれば、 その意味を理解した人が、 自発的に負担を引き受けてくれるはずだ。

そう考えてしまうことである。

良い目的を掲げている活動の中には、暗黙の参加条件が置かれていることがある。

  • その価値に共感していること。
  • 自分の時間を差し出せること。
  • 多少の不便を受け入れられること。
  • 報酬や見返りがなくても動けること。
  • 方法が分からなくても、自分で調べられること。

つまり、参加する前から、 ある程度善良で、熱心で、 余裕のある人でなければならない。

善意主義は、 社会を良くしようとする人ほど陥りやすい。

自分自身が、 必要だと思えば時間を使い、 不便を受け入れ、 報酬がなくても動けてしまうからだ。

足りないものがあれば、 自分で調べ、方法を考え、 手続きを乗り越えることもできる。

だから、自分が払える負担を、 無意識に他者にも要求してしまう。

善意が強い人ほど、 善意を前提とした仕組みをつくりやすい。

しかし、 自分が引き受けられる不便を、 他者にも当然のものとして求めた瞬間、 善意は参加条件になる。

その結果、善意を持つ人ほど先に疲弊していく。

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善意を捨てるのではなく、置き場所を変える

図・資料

ここで必要なのは、「人間は利己的だから報酬で動かそう」という転換ではない。

善意を捨てる必要はない。 善意の置き場所を変えるのである。

善意は、参加する人に要求するものではない。 どのような仕組みをつくるかを決める側が、引き受けるものである。

  • 誰の、どのような状態を良くしたいのか。
  • 誰かの犠牲によって成り立っていないか。
  • 参加できない人を責める構造になっていないか。
  • 何を増やし、何を守り、何を犠牲にしてはいけないのか。

これらを真剣に決めるために、最も必要なのが善意である。

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4要素を真剣に扱う必要がある。

善意と合理が方向を決め、都合が参加を増やし、手続きが反復可能にする。

善意だけでは、 良かれと思った行為が 本当に良い結果を生むかは分からない。

そこで合理が必要になる。

善意が「何を良くしたいか」を決め、 合理が「その方法で本当に良くなるか」を確かめる。

その方向へ、多くの人が参加できるようにするのが都合である。

そして、一度起きた行為を他者も繰り返せるようにするのが手続きである。

図・資料

図・資料

善意と合理が、方向を決める

善意は、「誰にとって、何を良くしたいのか」を決める。

一方の合理は、「その方法で本当に良くなるのか」を問い直す。

善意だけでは、良かれと思った介入が、相手の自由を奪うことがある。

  • 助けようとする行為が依存を生み、
  • 守ろうとする制度が選択肢を減らし、
  • 限られた資源が効果の薄い活動へ使われることもある。

合理だけでは、効率的ではあっても、誰のために何を守るのかが空白になる。

  • 測定しやすい成果だけが優先され、
  • 弱い立場の人や、
  • 数字にならない価値が切り捨てられることもある。

だから、善意と合理は対立しない。

善意が目的を与え、 合理が現実との接続を確かめる。

ここでいう合理とは、

人間を利己的な存在として扱うことでも、 すべてを金銭に換算することでもない。

効果だけでなく、 副作用、持続可能性、権利、 参加者の自律性、負担の偏りまで含めて、 目的に対する方法の妥当性を考えることである。

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都合が、参加を増やす

社会にとって良いことが、 参加者にとっても都合がよい。

この状態をつくれると、 参加するために特別に善良な人である必要がなくなる。

都合という言葉には、 利己的で、不純な印象があるかもしれない。

  • 自分の仕事が楽になる。
  • 問題を早く解決できる。
  • 安全に参加できる。
  • 複雑な判断をしなくて済む。
  • 自分の能力や実績が認められる。
  • 仲間や利用者が増える。
  • 不要な物や空間を整理できる。
  • 他者から改善が返ってくる。
  • 自分ではつくれないものを利用できる。

これらも、すべて人の都合である。

人は、社会のためだけに生きているわけではない。

日々の仕事があり、生活があり、疲れがあり、恐れがあり、自分の用事がある。

その現実を無視して善意を求めることは、 人間を信じていない態度である。

都合を設計するとは、 良いことへ参加すると、 その人自身の用事も済む状態をつくること

共有の仕組みを考えるとき、 「どうすれば、もっと善意を持ってもらえるか」 だけを考えてはいけない。

代わりに、こう問う。 参加する人自身の、どの用事が済むのか。

この問いを持つことで、 善意を持つ少数者の活動が、 多くの人が参加できる日常的な行為へ変わる。

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手続きが、反復可能にする

共有したい気持ちがあり、参加する理由もある。 それでも、方法が分からなければ共有は起きない。

  • 何を渡してよいのか。
  • どこへ置くのか。
  • どの形式にするのか。
  • いつまでに行うのか。
  • 誰が確認するのか。
  • 権利や責任はどうなるのか。
  • 問題が起きたとき、誰が対応するのか。
  • 共有した後に、何が起きるのか。

「手続きを作る」とは、これらの判断を毎回一人で行わなくてよいようにする行為。

手続きとは、 申請項目やフォームや契約を作ることが本質ではない。 規則や書類を増やし、人の行動を縛ることでもない。

人が迷い、恐れ、 諦めていた場所を見つけ、 明確な行動をできる状態にすること

手続きによって、 一度だけ起きた善意ある行為が、 別の人にも実行できるようになる。

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世界の歴史たち

歴史1.科学は、善意を信用へ変えた

近代科学は、研究者が人類のために無私の精神で知識を公開したから発展したわけではない。

科学者には、自分の発見を他者に奪われたくないという都合もある。

1665年に創刊された『Philosophical Transactions』は、科学的な成果を記録し、保存し、流通させる仕組みをつくった。後の科学出版につながる優先権、査読、保存、普及の考え方を発展させ、現在の学術誌の原型となった。

研究成果を公開することには、本来、アイデアを盗まれる危険がある。

しかし、論文として公開すれば、発見の日付が記録され、「自分が先に発見した」という信用を得られる。

  • 他者による検証や改善を受けられる。
  • 後の研究から引用される。
  • 研究者としての評価や地位につながる。

ここには、三つの要素がある。

  • 科学を発展させたいという方向がある。
  • 発見者として認められたいという都合がある。
  • 論文、掲載日、査読、引用、保存という手続きがある。

科学者に善意を要求するのではなく、個人的な発見と社会的な知識が、同時に成立する形式をつくったのである。

近代科学は、研究者へ「人類のために無償で共有せよ」と説いただけではない。 共有した人へ、優先権と信用が戻る制度をつくった。

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歴史2.ヒトゲノム計画は、善意を期限へ変えた

ヒトゲノム計画では、生成された大規模なDNA配列を、公共のデータベースへ迅速に公開する方針がつくられた。

バミューダ原則では、

DNA配列情報を生成後 24時間以内に 公共データベースへ公開すること

が求められた。

「できれば共有する」ではない。 何を、どこへ、いつまでに置くのかが決められた。 公開するかどうかを、それぞれの研究者の判断や人格へ委ねなかったのである。

資金を提供する機関にも、迅速な公開を支える方針と基盤を整える役割がある。

これは、公開する人へ一方的な自己犠牲を求める設計ではない。

  • 公共への利益を方向として定める。
  • データ生成者の貢献や信用を守る。
  • 公開期限と保存場所を決める。

善意が、関係者それぞれの責任と手続きへ翻訳されている。

ヒトゲノム計画が示したのは、 善意が不要だということではない。 公共の知識をつくるという善意を、 個人の献身ではなく制度へ変えた

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GitHubは、共有を追加の奉仕にしなかった

コードを公開するだけなら、 ファイル置き場やWebサイトでもできる。

難しいのは、公開した後に、 他者が安全に変更し、 確認し、議論し、統合できるようにすること。

GitHubのPull Requestは、

  • 変更内容と差分を確認し、
  • コメントし、修正を提案し、
  • 承認または差し戻しを行い、
  • 統合する

このプロセスを共同作業にした。

開発者がコードを共有する理由も、利他性だけではない。

  • 自分が必要な機能をつくりたい。
  • 不具合を直したい。
  • 他者に改善してもらいたい。
  • 同じ問題を何度も解きたくない。
  • 自分の実績を残したい。
  • 仕事や仲間へつなげたい。

開発者は、自分の問題を解くためにコードを書く。

その変更が、

  • 他者から見え、
  • 検証され、
  • 改善され、
  • 再利用できる形で残る。

共有は、本来の仕事が終わった後に行う追加の奉仕ではない。

自分の問題を解く行為が、 そのまま他者も利用できる変更として残る。

個人の都合と公共的な共有が、同じ手続きの中に置かれている。

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メルカリは、環境意識より先に不安を減らした

まだ使える物を捨てずに次の人へ渡すことは、社会にとって望ましい。

しかし、従来の個人売買には、多くの負担がある。

  • 購入者を自分で探す。
  • 価格を決める。
  • 相手と連絡を取る。
  • 住所を聞く。
  • 送料を調べる。
  • 宛名を書く。
  • 代金が支払われるか心配する。
  • 配送事故が起きたとき、自分で対応する。

これだけのことが必要なら、多くの人は捨てることを選ぶ。

利用者の目的は、必ずしも循環型社会をつくることではない。

  • 家を片づけたい。
  • 捨てるよりお金にしたい。
  • 欲しい人を自分で探したくない。
  • 知らない相手に住所を渡したくない。
  • 複雑な配送手続きをしたくない。

その都合に沿って行動した結果、物が次の利用者へ渡る。

ここで社会的な価値は、参加者へ理念を要求することで生まれていない。

参加者が自分の用事を済ませた後に、社会的な価値が残るよう設計されている。

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ネガティブケースを回避する

都合を与えればよいわけではない

イスラエルの保育園

善意主義から離れるとき、 反対側へ振れすぎる危険はある。

報酬や罰は常に善意を補強するわけではない。

イスラエルの保育施設で、迎えに遅れる保護者へ罰金を導入した実験では、遅刻した保護者の数は減らず、むしろ増加した。

さらに、罰金を廃止した後も、遅刻は以前の水準へ戻らなかった。

それまで遅刻は、「先生を待たせてしまう行為」だった。

罰金が導入されたことで、それが「料金を支払えば利用できる延長サービス」のように受け取られた可能性がある。

社会的な責任が、市場取引へ置き換わった。

合理的に設計するとは、すべてを報酬へ変えることではない。

その報酬や手続きが、

  • 行為をどのようなものとして見せるのか
  • 既にある信頼や責任感を壊さないか
  • 何を増やし、何を減らすのか
  • どのような参加者を呼び込むのか
  • 参加者の自律性を奪わないか
  • 数字に表れない価値を失わないか

まで考えることである。

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善意を仕組みに翻訳する四つの問い

何かを広げたいとき、「どうすれば共感してもらえるか」だけでは足りない。

次の四つを分けて考える必要がある。

1.善意

  • 誰の、どのような状態を良くしたいのか。
  • 参加者を増やすこと自体が目的になっていないか。
  • 誰かの消耗を、「良い活動」という言葉で隠していないか。
  • 何を守り、何を犠牲にしてはいけないのか。

2.合理

  • その方法によって、本当に望む状態へ近づくのか。
  • 良かれと思った行為が、別の負担や依存を生んでいないか。
  • 短期的な成果によって、長期的な価値を壊していないか。
  • 効果と負担は、特定の人へ偏っていないか。

3.都合

  • 参加する人自身の、どの用事が済むのか。
  • 何が楽になるのか。
  • 何が返ってくるのか。
  • どの不安がなくなるのか。
  • 参加しないより、参加するほうが自然になる理由はあるか。

4.手続き

  • 次に何をすればよいか、迷わず分かるか。
  • 何を、どこへ、どの形式で渡すのか。
  • 誰が確認し、どのように受け取るのか。
  • 問題が起きたとき、誰がどう扱うのか。
  • 一度の成功を、別の人が繰り返せるか。

この四つが揃うことで、善意は一部の人の献身から、社会に残る構造へ変わる。

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善意を守るために、善意を要求しない

善意主義から離れることは、理想を下げることではない。

人が毎回立派でなくても、 深く共感していなくても、 疲れていても、余裕がなくても、 良い方向へ参加できるようにすることである。

善意を捨てる必要はない。 善意にすべてを背負わせなければよい。

人の都合が自然に流れ込み、 特別な決意がなくても繰り返せる手続きをつくる。

善意と合理が定めた方向へ、 人の都合を流し、 それを他者も繰り返せる形にする。

善意の社会実装の最も現実的な方法は、善意を毎回要求しなくてもよい仕組みをつくることである。

善意を、参加条件にしない|Tinker