この知恵で考えられること
文章を書く。絵を描く。会社をつくる。サービスをつくる。場をつくる。誰かとの間に、新しい習慣をつくる。
文章を書く。絵を描く。会社をつくる。サービスをつくる。場をつくる。誰かとの間に、新しい習慣をつくる。
そして完成したものを外へ出したところで、一つの仕事が終わったように感じる。
しかし、おそらく創造の面白い部分、創造物自身の役割はそこから始まる。
作者の内側にあったものが一度外へ出ると、それは作者とは別の時間を生き始める。
誰かに読まれ、使われ、誤解され、愛され、放置され、改変され、ときには作者自身が想像していなかった場所へ運ばれていく。
そして、その出来事を見た作者もまた変わる。
つまり創造とは、
作者 → 創造物という一方向の行為ではない。
作者 → 創造物 → 世界 → 作者という循環である。
それを本能的に感じて、周りを見て学んでいるからこそ創造をしたいと感じるのだと思う。
ここでは、自分から生まれ、自分の外側で自分の代わりに世界と接し続けるものを「代名詞(Pronoun)」と呼ぶ。
代名詞は、作者を説明するプロフィールではない。
作者がいない場所でも、その人が世界に差し出した何かを生き続ける存在である。
そして重要なのは、代名詞を持つこと自体ではない。
自分から生まれたものが世界を生き、その世界から何かを持ち帰ってくることによって、作者自身もまた次の生が変わる。
そこに創造の面白さがある。
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創造物は、作者の外側に立ち上がった瞬間から別の存在になる
頭の中にあるうちは、世界から何も返ってこない
人はかなり長い時間、頭の中だけでも創造できる。
- こんな文章を書きたい。
- こんな会社をつくりたい。
- こういう場所があれば面白い。
- こういう生き方をしてみたい。
想像の中では、かなり自由である。
しかし、そこには一つだけ決定的に欠けているものがある。
世界からの応答である。
文章を書いてみたら、思ったより自分の考えが曖昧だった。
つくった道具を使ってみたら、重要だと思っていた機能より、持ちやすさの方が重要だった。
イベントを開いてみたら、自分が用意した企画ではなく、その前後の雑談から人間関係が生まれた。
現実に置かれたものには、頭の中には存在しなかった抵抗がある。
- 素材には素材の性質がある。
- 相手には相手の人生がある。
- 市場には市場の事情がある。
- 時間には時間の流れがある。
世界は、作者の意図どおりには動かない。
創造物が外へ出るとは、この制御不能な世界の中へ、自分の一部を送り込むことである。
そして、だからこそ面白い。
完全に自分の思いどおりになるものからは、自分がすでに知っている以上のものは、あまり返ってこない。
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代名詞は「自分を表すもの」より「自分の代わりに世界と接するもの」に近い
Pronounは自己紹介ではない
「自分を表現する」という言葉には、ときどき奇妙な圧力がある。
- 自分らしいものをつくらなければならない。
- 独自性を出さなければならない。
- 本当の自分を表現しなければならない。
しかし、創造を始める前から「本当の自分」が完成している必要はない。
むしろ逆である。
何かをつくったあとで、
- 「自分はこういうことを気にする人間だったのか」
- 「ここだけはどうしても譲れないんだな」
- 「自分はこれを面白いと思うのか」
と、自分について後から知ることの方が多い。
心理学には、行動を観察することで自分自身の態度や嗜好を推測するという自己知覚の考え方がある。
これは創造にもよく似ている。
自分の内側をどれだけ見つめても分からなかったものが、自分が実際につくったものを見ることで分かる。
だから代名詞は、自分の内面を正確にコピーした肖像ではない。
自分がある瞬間に、世界へどのような働きかけをしたのか。その痕跡である。
そして、その痕跡を自分自身も観察する。
代名詞とは、自分を他人に説明するためのものというより、自分自身が、自分を発見するための外部装置でもある。
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創造物は、作者が知らないところで世界を生き始める
作品は意図だけでは生きない
- 自分が書いた文章が、思っていたのとは違う理由で誰かの役に立つ。
- つくったサービスを、想定していなかった人が使う。
- 軽い気持ちで始めた企画が、別の人に引き継がれる。
- 昔何気なく言った言葉を、何年もあとに誰かが覚えている。
創造物は、作者の意図だけでは存在しない。
世界に置かれた瞬間から、使う人、見る人、その場所、その時代との関係の中で意味を持つようになる。
その意味は、ときに作者自身の理解さえ超える。
これは作者の意図が無意味になるという話ではない。
むしろ、意図だけでは創造物の人生を最後まで決められないということである。
人間関係にも少し似ている。
子どもを育てることと、その子どもの人生を決めることが同じではないように、何かを生み出すことと、その後の意味を完全に所有することも同じではない。
創造物には、作者から生まれたあとに始まる時間がある。
その時間を許すことは、創造に偶然性を戻すことでもある。
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世界を生きた創造物は、作者に「観測」を返してくる
世界に触れた自分を見ることで、自分の実在を知る
自分の外側に何かが存在するということには、もう一つ重要な意味がある。
自分が世界に触れたという事実が残る。
ここで以前から「被観測性」と呼んでいるものが関係してくる。
被観測性とは、単に人から注目されることではない。
フォロワーが多いとか、評価されるとか、有名になるとかいう話でもない。
自分が世界のどこかと確かにつながっているという感覚である。
- 自分が書いた文章を一人が読んだ。
- 自分がつくった仕組みを誰かが今日も使っている。
- 自分が始めた場所に、自分がいない日も人が集まっている。
- 自分がつくった料理を誰かが覚えている。
そうした出来事は、「自分はここにいる」という感覚を、自分の内側だけではなく外側からも返してくる。
人は、完全に自分一人だけで自分の存在を確認しているわけではない。
他者との関係、環境との相互作用、自分の行為が引き起こした変化を通じても、自分という存在を知る。
代名詞が世界に存在することは、自分の人生が、自分の頭の中だけで完結していないということでもある。
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代名詞は、作者に「自分が世界を変えられる」という感覚を返す
創造は、自由を実感に変える
自由は、制度として存在しているだけでは十分ではない。
- 選んでいい。
- 始めていい。
- やめていい。
- 違うことをしていい。
頭ではそう分かっていても、実際には使えない自由がある。
ここで重要なのが、自分の行動によって現実が変わったという経験である。
- 一枚の文章を書いたら、誰かから返事が来た。
- 小さな仕組みを変えたら、仕事の流れが変わった。
- 一人で始めた活動に、もう一人加わった。
- 何かを試したら、昨日まで存在しなかった選択肢が生まれた。
こうした経験は、**「世界は完全に決められたものではない」**という感覚をつくる。
心理学でいう自己効力感にも近い。
自分の働きかけによって何かが変わるという経験は、次の行為を選べる感覚に影響する。
つまり「自由を使っていいという自覚」と呼んでいたものも、この文脈から理解できる。
自由を使うためには、「自由はある」と言われるだけでは足りない。
自分が動いたら、本当に何かが動いた。
その経験が必要になる。
代名詞は、その経験を世界の中に保存する。
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一つの創造が、次に見える世界を変える
創造の最大の成果は、次の問いかもしれない
- 何かを創る前と、創った後では、世界の見え方が変わる。
- 文章を書いた人は、他人の文章を見る場所が変わる。
- 店を始めた人は、街を歩くときに店を見る目が変わる。
- ソフトウェアをつくった人は、普段使っているサービスの設計が以前より見える。
- イベントを開いた人は、人が集まる場所の空気を以前とは違う解像度で見るようになる。
一度何かを創ると、その対象についての知覚が変わる。
それまで一つに見えていたものの中に、たくさんの違いが見えるようになる。
そして違いが見えると、また手を入れられる。
これは創造の重要な性質だと思う。
創造によって世界を変えるだけではない。創造によって、世界を見る自分の能力も変わる。
すると、その変わった自分がまた世界を見る。
- 以前は気にならなかったことに引っかかる。
- もっと試したいことが出てくる。
- 今度は別のものをつくりたくなる。
創造とは、完成品を積み上げる営みというより、世界に働きかけるたびに、次に見える世界が変わっていく営みなのかもしれない。
この循環が続くと、創造は「成果を出す活動」から少しずつ違うものになる。
次に何が起こるのか確かめる遊びに近づいていく。
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没頭とは、この往復が高速に続いている状態でもある
「集中しよう」とするより、次に触りたいものがある
没頭は、意志の強さによって長時間集中できている状態だと考えられがちである。
しかし実際には、「集中しなければ」と自分に命令しているときほど没頭から遠いこともある。
創造における没頭は、
- 変える。
- 見る。
- 違いに気づく。
- また変える。
という小さな循環が途切れず続いている状態として捉えることもできる。
- 少し変えたら、結果が返ってくる。
- 結果を見たら、また試したくなる。
一つ理解したら、次の分からないことが現れる。
心理学でいうフローにも近い部分がある。
能力と課題のバランス、行為への集中、比較的素早いフィードバックなどが没頭を支えるとされている。
創造物との関係にも同じ構造がある。
創造物が作者へ返答してくれる限り、作者には次にすることが現れる。
世界から応答がある。だから続きをやりたくなる。
没頭は、情熱を燃やし続けることだけではなく、自分と世界の間に、応答のある関係が成立していることなのかもしれない。
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ただし、代名詞は作者の檻にもなる
「これが自分だ」と思い始めた瞬間、創造は再生産に変わる
代名詞には危うい面もある。
創造物が評価されると、人はその創造物と自分自身を結びつけ始める。
「あの作品の人」
「あの会社をやっている人」
「あの考え方の人」
他人からそう見られ、自分でもそう思うようになる。
すると、代名詞は自分の代わりに世界を生きるものではなく、自分が守らなければならない自己像へ変わっていく。
前に成功したものと違うことをするのが怖い。
期待されている自分を裏切れない。
評価された方法を繰り返す。
そうなると、創造物が作者に新しい世界を返すのではなく、過去の創造物が、未来の作者の選択を決め始める。
これはPronounという考え方の、ほとんど正反対の状態である。
代名詞は、自分の代わりに世界を生きてくれるものであって、自分に代わって未来を決めるものではない。
昨日つくったものと、今日つくりたいものが違っていていい。
- 昔書いた文章を否定してもいい。
- 会社を畳んでもいい。
- 途中で興味を失ってもいい。
一度世界に置いた代名詞を更新し続ける必要すらない。
その自由が残っているからこそ、次の創造物が生まれる。
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創造を面白くするには、作品を完成させるより「世界へ放す」ことが必要になる
完璧になってからでは、世界との対話が始まらない
創造物は、作者の内側にある間はまだ世界を生きられない。
だから創造を面白くしたいなら、どこかで自分の制御から離す必要がある。
これは必ずしも、大勢に公開するという意味ではない。
- 一人に見せてもいい。
- 自分で実際に使ってもいい。
- 机の上に物理的に置いてもいい。
文章として書き出して翌日読み返すだけでもいい。
重要なのは、自分の想像だけでは決められない場所に置くことである。
世界に触れた瞬間、何かが返ってくる。
- 読みにくい。
- 意外と使いやすい。
- 誰にも伝わらない。
- 思っていたより好きだ。
- 知らない人が喜んだ。
- 自分にはもう興味がない。
どれも情報である。
その情報によって、次の創造が変わる。
だから失敗も、創造にとっては単なる減点ではない。
世界に触れなければ手に入らなかった情報を持ち帰ってきたのなら、その創造物はすでに一つの仕事をしている。
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創造とは、世界へ自分を差し出し、世界から自分を受け取り直すことかもしれない
自分は何者なのか。
何をしたいのか。
何が好きなのか。
どんな人生を生きたいのか。
こうした問いを、すべて考えてから創造を始めようとすると難しい。
自分というものは、そんなに先に確定できるものではない。
何かをつくる。
世界に置く。
何かが起こる。
それを見る。
そこで初めて、自分について分かることがある。
そして、少し変わった自分でもう一度つくる。
その繰り返しの中で、自分という存在も更新されていく。
今日を味わうための条件は、人生を自分で選べている感覚、世界との接続、自由を使っていいという自覚などで整理できる。
Pronounは、それらを一度に解決する魔法の道具ではない。
ただ、創造にはそれらを動かす力がある。
自分が選ぶ。
自分から何かが生まれる。
それが世界と接触する。
世界から何かが返ってくる。
自分の存在が外側でも確認される。
現実を少し動かせたという経験が残る。
その経験によって、また選べることが増える。
この循環が回り始める。
だから
- 創造は、立派だから守るべきなのではない。
- 芸術家だけの特別な活動だからでもない。
創造によって、人は世界の中で受動的な存在であることを少しだけやめることができる。
世界に何かを置き、その続きを見ることができる。
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創造物は、作者より少し先に世界を生きている
創造物は不思議な存在である。
自分から生まれたのに、自分ではない。
自分の意志を含んでいるのに、その後のすべてを支配することはできない。
自分が眠っている間にも、自分が別のことをしている間にも、ときには自分がもう興味を失ったあとにも、世界のどこかで何かと接触している。
そして、ときどきそこから便りが届く。
- 誰かが使った。
- 何かが変わった。
- 思っていたものとは違った。
- もう一度やりたくなった。
- 別のことをやりたくなった。
- 自分の知らなかった自分が見えた。
その意味では、代名詞とは単なる成果物ではない。
自分より少し先に世界へ送り出した、自分の一部である。
そして私たちは、その代名詞が世界で経験したことを受け取りながら、次の自分をつくっていく。
創造の面白さは、完成した瞬間に最大になるとは限らない。
むしろ、自分から離れた創造物が何を見て、どこへ行き、何を変え、何を持ち帰ってくるのか分からないところから始まる。
つくる。世界へ置く。世界が応える。その応答によって、自分が変わる。
そして、変わった自分がまたつくる。
創造とは、自分の代名詞を世界へ送り出し、その代名詞が生きた世界によって、自分自身の生を更新していく営みなのだと思う。