この知恵で考えられること
システムを作るという仕事の終わり”が近い世界で、アートと仕組みの境目が溶けていく
システムを作るという仕事の終わり”が近い世界で、アートと仕組みの境目が溶けていく
最近、はっきりとは言い切れないけれど、確実に感じる変化がある。
「あなたのために」という仕事のかたちが、静かに終わりに向かっている。
「一から作ってあげる」という構造が、徐々に意味を失い始めている。
すでに土台は出揃っている
海外のSaaSを見ているとよくわかる。
単機能の業務ツールを作るのではなく、ほぼあらゆる用途に変形できる“土台”を徹底して作っている。
データの登録・編集・更新。複数処理の連鎖。入出力の調整。速度や精度のバランス設計。
コンピュータで何かを行うための基本構造は、ほぼ揃ってきている。
その結果、小さな会社でも、自分たちのための仕組みを自分たちで組めるようになってきた。
そしてその流れは、個人へと降りてきている。
かつては大企業しか持てなかった「専用システム」が、中小企業へ、そして個人へと開かれ始めている。
まだ完全ではないが、方向は明らか。
残るのは「接続」と「修理」
では何が残るのか。
新しいシステム本体を作る仕事ではなく、
- 既存システム同士をつなぐこと
- 壊れたものを直すこと
- 使いやすく整えること
- 人間にとって自然な形に仕立て直すこと
こうした「接続」や「整備」の仕事が中心になっていく。
車の世界に似ている。
新車を一から作る市場よりも、修理や改造の市場のほうが大きい。
システムも同じ流れに入っているように見える。
クリエイターが仕組みを作り始める
もう一つの変化は、より構造的だ。
これまでシステム開発は、専門訓練を受けた人の領域だった。
学習コストが高く、維持管理が難しかったからだ。
しかしそのハードルが急速に下がっている。
すると何が起きるか。
デザインや表現に長けた人、人間の感覚や体験を深く考えてきた人が、仕組みそのものを作り始める。
「これはアートか、システムか?」
その問いが、意味を持たなくなっていく。
アプリは作品になり、
作品は機能を持ち、
機能は体験になり、
体験は価値になる。
境界はもともと連続していたのかもしれない。
ただ距離があっただけで、その距離が縮まっている。
これからは、エンジニア、デザイナー、アーティスト、企画者、個人ユーザーが入り混じって、
仕組みを作る場に参加する。一種の混戦状態が始まっている。
職場は「人格を外に出す場所」になりつつある
こうした変化の背景には、もう一つ大きな動きがある。
社会の変化速度が、個人の思考速度に近づいてきている。
以前は、個人の理想や構想が現実になるまでに、長い時間と大きな資源が必要だった。
社会は巨大で、動きが遅かった。
しかし今は、小さな単位でも、自分の考えを比較的短い時間で形にできる。
その結果、職場の意味も変わり始めている。
職場は単なる賃金を得る場所ではなく、自分の価値観や思考を外部化するキャンバスのような場所になりつつある。
人が辞める理由も、待遇だけでは説明しきれなくなっている。
「ここでは自分の色を出せない」そう感じたとき、人は離れる。
「やらなければならない」が減る世界
さらに大きな変化もある。
やらなければならない仕事の割合が、少しずつ減っている。
自動化やAIによって、必ず誰かが担わなければならなかった作業は減っていく。
それは効率化だが、同時に拠り所の喪失でもある。
やらなければならないことをこなすことで自分の価値を確認してきた人は、
急に「何を生み出すか」という問いに直面する。
それは自由でもあるが、同時に不安定でもある。
生まれたときからこの環境にいる世代でさえ、決して簡単ではない。
終わりではなく、移行
これは断言ではない。
ただ、兆しははっきりしている。
- システムを一から作ってあげる仕事は縮小していく
- 接続・修理・整備の価値が高まる
- クリエイティブと仕組みの境界が溶ける
- 職場は人格を外に出す場へと性質を変える
- 「やらなければならない」から「何を生み出すか」へ軸が移る
世界の楽しみ方も、面倒ごとへの向き合い方も、少しずつ変わっていく。
まだ途中。けれど、変化はもう始まっている。
そして今は、その移行期を観察できる、少しだけ特別な時間なのかもしれない。